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第十話
生きとし生けるものならば必ず訪れる終焉の時……。
種族や身分に囚われず、全ての"命"に対し平等に与えられる"死"……。
運命を受け入れる決意を決めたあの日から二週間、俺は遂にその時を迎えた……。
などと悟りを開いた坊さんみたいな言い回しが出来るくらい、今の俺は穏やかな気持ちでいる。
別に恐ろしさの余り冷静な思考が出来なくなった訳では無いし、仕方が無い事だと開き直ってる訳でもない。
そうだな……。
例えるなら"我が人生に一片の悔い無し!"と言って絶命した超有名な人物の気持ちに近いかもしれない。
"どれだけ長い時間を生きてきたか"よりも"どれだけ充実した時間を生きてきたか"……それを幸せの基準だとするなら間違いなく俺の人生は満ち足りたものであり、この二週間を彼女と一緒に過ごす為に生まれて来たんだと断言する事が出来る。
別に大袈裟な事を言ってる訳ではなく、心を惹かれる人と巡り会い、その人と同じ空間を共有し、同じ時の流れを感じ、心の中がその人への愛おしさで満たされていく。
それ以上の幸せが今の俺には思いつかないだけだ……。
確かに以前は、お金がいっぱいあって欲しいものが何でも手に入り、病気も何もしないで長生き出来る事が一番の幸せだと思っていた。
でも今は違う、彼女がそんな価値観の全てを壊し、変えてくれた。
彼女に出会えた事、彼女と過ごせた事、それが人生の全てになったんだ。
もし運命を司る神様が気まぐれで時間を戻したとしても……。
仮に自分で進む道を決める事が出来たとしても……俺は絶対に彼女の居ない人生なんて選ばない。
例え短い寿命を突き付けられても彼女と出会う人生を選び、彼女と同じ時を生きると思う。
さて、そろそろ出掛ける時間が近づいてきたし準備でもするか。
台所を見ると硬い表情の彼女が立っている。
「どうしたんだミコト?」
『……』
彼女が何を思ってるのかなんとなく想像が出来る。
残していく者よりも、残されていく者の方がつらいに決まってるからな。
でもそれが抗う事の出来ない運命なら、今は普段通りの行動をするしかない。
まず俺は大学で友人達にそれとなく別れの挨拶をして回った。
「急に何を言い出すんだこいつは?」みたいな表情をされたが、まぁ明日になったらその理由が分かるだろう。
一通り挨拶を終えた帰り道、とあるビルの工事現場が目に入ってきた。
「なるほど、ここで俺は事故にあうんだな」
いつもは気にせず素通りしていたが、よく見ると大通りに面した大きなビルで人通りもそれなりに多かった。
これって大丈夫なのか? 死を迎えるのは俺だけかもしれないが事故に巻き込まれて怪我をする人が大勢出るんじゃないか? 軽い怪我ならいいが意識を失うような大怪我をするとか、そんな人は出来る限り出したくないしな。
時計の針は午後二時四十一分を示している、あと一分。
見上げるとクレーンに吊られた鉄骨が風で大きく揺れだした、今のうちにここから人を離しておかないと危ない。
「みんな逃げろ! 鉄骨が落ちてくるぞ!」
俺の叫び声に驚いたのか、ある者は歩みを止め、ある者は上を見て飛び退き、俺の周囲に一定の空間が出来た。
これでいい……。
あとは数秒後に落ちてくる鉄骨を待つだけだが、その前に一つ、心残りを全部なくす為にあと一つだけやっておかないと。
俺はミコトの方を見つめ、今まで考えてるだけで言えなかった事を言葉にして伝えた。
「ミコト……初めて出会ったあの時から、俺はミコトの事が好きになってたんだと思う……その想いに偽りなんか無い……この先もつらい使命が待ってるかもしれないがそんな物には負けないで幸せになって欲しい……ミコト……愛してるよ……」
次の瞬間目の前が真っ暗になり、俺の意識は深い闇へと落ちていった。
どうやらここには時間の概念と言う物が無いようだ。
どれくらいこうしているのか見当もつかない、ただ上下左右何も見えない空間の中を漂い進む感覚だけがある。
本当にここが黄泉比良坂とか言う場所なんだろうか? ちょっと不安になってきたぞ。
まぁ彼女が息を引き取ってくれてるから間違いはないんだろうけど、それにして暗すぎる! ここの設計を担当した神様に文句を言いたいぞ。
俺みたいに幸せな気持ちで死を迎えた者はいいとしても、ここに来る人の何割かは突然死を与えられて暗い気持ちになってるんだから、綺麗なネオンで楽しい雰囲気を盛り上げるとかそんな考えは無かったのか? 予算の事とか人間には理解出来ない問題が色々とあるのかもしれないけど、せめて案内の矢印とかピカピカ光るネオンくらいはあってもいいと思うんだが。
"イチロウ……。"
ん? 遠くから呼ばれてる気が……もしかしてこれが噂に聞いた"お花畑の向こうから呼ぶ先祖の声"なのか?
"イチロウ……オネガイダカラ、メヲアケテ……。"
次第にその声は大きくなり、やがて眩い光の空間が目の前に広がった。
「先生早く来て下さい! 孫の意識が!」
ばあちゃん何やってるんだよ、黄泉之国に来るのはまだ少し先だろ? そんなに慌てるなよ。
「一郎! お母さんの事が分かるかい?」
ちょっと待て! どうしてお袋までここに居るんだ?
「何やってんだよ兄貴! みんな心配してたんだぞ!」
……。
……。
もしかして……俺は生きてるのか?
「あれだけの事故なのに骨折だけで済んだのは奇跡だよ!」
奇跡?
違う、奇跡なんかじゃない……。
彼女が……ミコトが何かしたんだ……。
その時、俺の脳裏に最後の瞬間が甦ってきた。
「ミコト……愛してるよ……」
『いやあぁあああ!』
そう言えばミコトの叫び声を聞いた気がする、よく思い出せ。
『一郎さんの息を引き取る事なんか出来ない! 神としての私の存在なんか消えてもいい! どんな重い罰を受けても構わない! だから、一郎さんだけは絶対に死なせたりはしない!』
そうだ……俺はミコトに息を吹き返されたんだ。
『一郎さん……。
何千年と言う長い時を過ごして来た中で、あなたと暮らしたこの時間が一番幸せでした……。
神としての使命だけに存在して来た私が、こんなにも素敵な人に巡り会う事が出来……。
同じ喜びを分かち合い……。
共に同じ時間を過ごし……。
好きになる事が出来たなんて夢のようです……。
あなたと共に過ごす為に私は長い時を過ごしてきたんだと……。
あなたの運命を変える為に私は存在し続けてきたんだと……そう信じています……。
あなたが現世に戻って来てくれるのなら、もう何も思い残すことはありません……。
私の存在の全てをあなたに捧げます……。
だから……。
お願いですから……この世界の誰よりも幸せになって下さいね……。
一郎さん……。
私もあなたの事を愛しています……』
……。
……。
嘘……だよな?
本当は使命を否定しなくてもいい別の方法があったんだろ?
ただ俺を驚かそうと悪ふざけしてるだけだよな? そうなんだろミコト?
そこに隠れて見てるのは分かってるから……。
もう充分驚いたから出てきてくれよ……。
今なら許すから、冗談でしたって笑ってくれよ……。
頼むから……。
何でもするから……。
だからもう一度俺の名前を呼んでくれよ……。
……。
……。
どうして!
どうしてなんだよミコト!
幸せになって下さいって、そんなの無理に決まってるじゃないか!
ミコトが居ないのに……。
ミコトの存在が消えちまったのに幸せになれる筈ないじゃないか!
俺なんかの為にどうして……。
……。
……。
「ミコトー!!」
その叫びに答える声は無く、ただ病室の中に虚しく響くだけだった。
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