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第七話
彼女との生活が始まってからも、俺は今までと同じように大学へ行く事にしている。
自暴自棄になり今までの日常生活を放棄するような事は絶対にしない、それが彼女に誓った約束の一つだからな。
まぁ、いつも彼女の傍に居て顔を見ていたいと言うのが本音なんだが、そんな事をしても喜びはしないと思うし、ここはグっと堪えて我慢我慢。
しかし今までと同じ道を歩き、同じ教室で講義を受け、同じように窓の外を歩く人を観察しているのだが以前とは見え方が全く違うように思う。
この世の中は平凡でつまらない、面白い事なんか一つも無い、そんな考えを持っていた事が嘘のようだ。
あの頃は見るもの全てに色が無く、触れる物全てに実感が無かった。
そう、まるで作り物の世界に迷い込んでるかのような、そんな虚しい錯覚さえ抱いていた。
でも今は見る物全てが鮮やかな色で輝き、触れる物全てから新鮮なぬくもりが伝わってくる。
人の感覚とは心の満たされ方でこんなにも違うんだと初めて知った。
『おはようございます一郎さん、朝食の支度が整ってますからそろそろ起きて下さいね』
今日も彼女の優しい声で朝を迎え、出来立ての朝食の香りに食欲をそそられる、それは何気ない事のように思えるが俺の心を幸せで埋め尽くしていく。
「おはようミコト、今朝のご飯も美味しそうだね」
テーブルに並べられるプロも顔負けの料理の数々に感動を隠せない。
「それにしても本も何も見ないでこれだけの物を作れるなんて凄いよ、ミコトは神様の世界でも料理をしてたの?」
俺は冗談混じりに聞いてみる。
『私達には食べると言う行為は特に必要ではありません……でも、ずっと人間の世界を見て来て覚えちゃいました、こう見えても伊達に何千年も過ごして来た訳じゃありませんからね』
他愛も無い言葉のやり取りが心地よい、この時間がずっと続けばいいのに。
しかしそんな想いとは裏腹に、こうして俺と一緒に過ごしている時間も彼女の使命は続いている、それが気に掛かる。
俺が大学に行ってる時、二人で一緒に過ごしている時、場所と時間を選ばず彼女が息を引き取る場面はやってくる。
死を迎える者の想いを受け取り表情を曇らせる彼女を、悲しみを受け取り小さく震えている彼女を俺はただ黙って抱き寄せる事しか出来なかった。
これが使命なのは嫌と言うほど分かってる。
人間の俺には何も出来ない事も充分理解している、でも、せめて息を引き取る人数を減らしたり出来ない物なのか。
とは言え死が間近に迫り時間の無い現状を考えれば、出来ない事をあれこれ考えるより今は出来る事を考える方が正解なのかもしれない。
明日は日曜日で学校は休みだし、気分転換にどこかへ遊びに行くのもいいかもな。
「なぁミコト、明日の事なんだけど、もし良かったら新しく出来た水族館にでも行かないか?」
よほど意外な言葉だったのか、しばらくは理解出来ない様子で小首を傾げていたが、すぐに目を輝かせ大きな声で答えた。
『はいっ! 私、水族館なんて初めてだから是非行きたいです!』
こんなに喜んでくれるなら誘った甲斐があると言う物だ。
翌日、彼女はよほど嬉しかったのか早朝から弁当を作って準備をしていた。
周りから見たら二十歳を超えた男が一人で弁当を持って水族館へ行く姿など、これ以上怪しく不気味な事は無いと思うが、そんな事は関係ない。
俺の心は幸福感で満たされ鼻歌まで出るくらいだ。
鼻歌を歌う事で"不気味さ"だけではなく"近寄ってはいけない危なさ"も加わったが、そんな事も気にしない、そう思いたかったら勝手に思えばいい。
水槽の前で子供のように喜ぶ姿を見ると心の底から来て良かったと思える。
『そろそろお昼ご飯にしませんか?』
そう言えば腹も減ってきたし、そこのベンチで食べるとするか。
彼女が作った料理は何度も食べてるが弁当はまた別の感動があるな、小さな箱に綺麗に並べられたおむすびとオカズ、この見た目の美しさはもはや芸術と言っても過言ではない。
満腹になって一休みしていると、彼女が腕にしがみついてきた。
「どうしたのミコト?」
『気を付けてください一郎さん……』
小声で話すその様子から何やら尋常ではない雰囲気が伝わってくる。
『この人達の中に二人……同じ時刻に同じ原因で死を迎える人がいるんです……』
何て事だ、せめて今日くらいはこんな場面に出会いたくはなかったのに。
それにしても二人同時って何か大きな事故でも起きるのか?
『今から三十七分後……死因は刺殺……その二人は通り魔に襲われてしまいます……』
なるほど、だから気をつけろって事なのか。
しかしこの人混みの中にそんな奴が居るとはな……そいつのせいで彼女が悲しい想いを背負わなければならないと考えると怒りが込み上げてくる。
そいつさえ居なければ彼女が息を引き取る事もないのに。
……。
……。
ん? ちょっと待てよ?
交通事故の場合、力の無い俺には車や電車の突進を止める事は当然出来ない。
かと言って死を迎える当人に直接話をしても信じてもらえないどころか、変人として通報される可能性もある。
でも今回の場合はどうだ?
犯人の方を取り押さえれば事件は未然に防げるんじゃないのか?
それに俺は死を迎える日も原因も分かってる、逆に言えばその日に起こる原因以外では死ないって事じゃないのか?
これはもしかしたら彼女が息を引き取る事は避けられるかもしれないぞ。
「ミコト、どの二人が死を迎えるのか教えてくれないか?」
『あのお店の前に居る女性と隣に居る娘さんですけど……何をするつもりなんですか一郎さん?』
「大丈夫! 俺に任せて」
不安そうな顔をする彼女に笑顔で答えた。
あの親子がそうなのか。
休日の水族館は人で溢れて容易には怪しい人物を見つけられない、犯人はどこから来るんだ……目を凝らしてよく探せ。
もうすぐ時間が来てしまう、犯人はまだ分からないが取り合えず親子の方に近づいてどんな状況にも対応できる体勢を取っておこう。
時間を確認する為に腕時計を見たその時、後方から大声で叫ぶ男が近づいてきた。
「うおぉぉぉ!」
「やめろ! それ以上近づくな!」
俺は凄い勢いで刃物を振り回し走ってくる男の前に立ちはだかったが、次の瞬間右腕に鋭い痛みが走り、押し倒されてしまった。
慌てて親子の方へ視線を向けたが、そこにはすでに凄惨な情景が広がっていた。
騒然となる現場、大勢の人に取り押さえられる犯人……そして血を流し横たわる親子……。
「どうしてだよ! どうして止める事が出来なかったんだよ!」
腕の傷を押さえたまま起き上がり、呆然としている所に彼女が慌てて走って来る。
『大丈夫ですか一郎さん!』
彼女は俺の胸に顔を埋め泣き出してしまった、その姿を見ると心が痛む。
『どうして! どうしてこんな無茶をするんですか!』
「ごめん、俺はその日が来るまで死なないと思ったから……だから犯人を止めればミコトが悲しみを背負わなくて済むかと、そう思って」
『死への運命は変える事が出来ないんですよ! それに今は一郎さんに死は訪れなくても怪我をすれば痛みで苦しむし、下手をすれば意識を無くしたままその日を迎える事になるかもしれないんですよ! なのに!』
俺の考えは浅はかだった、人間の力で運命が変えられるくらいなら彼女は何千年も苦しんだりしないだろ。
結局は軽率な行動によって新たな悲しみを増やしただけだった。
彼女は俺に抱きついたまま親子二人の息を引き取り、そして悲しい想いを受け取った。
「ごめん……余計な悲しみを増やしてしまったな」
『大丈夫です……悲しみを背負うのはつらいですけど、今は一郎さんがこうして抱き止めてくれるから……私の悲しみを一緒に支えてくれるから、それだけで救われています……だから私の為に無茶をするのはもう止めて下さい……お願いですから』
俺に出来る事は彼女を抱きしめる事だけだったが、それで心の負担が少しでも軽くなるのなら、それで救われると言ってくれるなら、今はそうするしかない。
彼女の心にどうか安らぎが戻りますように……俺はそれだけを何度も何度も心の中で繰り返した。
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