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第八話
今朝はいつもの優しい声ではなく、無機質な電話の呼び出し音で起こされてしまった。
時計を見ると六時三十分……早朝と言う訳ではないが、電話や目覚まし時計の音で強制的に起こされると全身を倦怠感が襲う、そんな時間だ。
携帯の画面を見るとそこにはお袋の名前が表示されていた。
「もしもし一郎かい? ちゃんとご飯食べてるの?」
……。
……。
「そんな事を言う為にわざわざ掛けてきたのか? 少しは考えてくれよ」
「あんたはお盆もお正月も帰ってこないで何やってるの? おばあちゃんも心配してるんだから、たまには顔を見せなさい」
確かに疎遠になってるのは気になっていたが、電車に乗って二時間、バスに乗り継いで一時間、とどめに歩いて四十分……気軽に帰れる距離ではない。
とは言えもうすぐ死を迎える身としては、生きているうちに顔を見せておいた方がいいのかもしれない。
よし! 思い立ったが吉日とも言うし、今から帰ってみるか。
俺はその事を彼女に伝え、急遽二人で実家へ帰る事にした。
一人で帰省してた頃は余計な事ばかりを考えてしまう、そんな移動時間の長さが嫌で嫌で仕様が無かった。
今日の場合も本来なら最後の別れに行く訳だから、きっと長い時間の中で暗い事ばかりを考え落ち込んでいたに違いない。
だが彼女が隣に居てくれる……ただだけで暗い考えが思い浮かぶ事などは全く無かった。
手作りの弁当を食べながらする会話が楽しくて、もっと電車に乗っていたい、まだ着かないでほしい、そんな想いばかりが沸いてくる。
俺が居る事で救われたと彼女は言ってくれるが、本当に救われているのは俺の方なのかもしれないな。
二人は電車とバスを乗り継いで何も無い停留所へと降り立った。
「はははっ、なにも無さ過ぎてミコトも驚いたんじゃないか?」
『そんな事ありませんよ、ここの風景はとても懐かしい感じがして心が安らぎます』
平凡すぎて好きになれなかった田舎だが、彼女がそう言ってくれると何だか嬉しい気持ちになる。
他愛も無い会話をしながらだと家まで四十分の距離も苦にならない。
「あれ? 一郎お兄ちゃん帰って来たの?」
「いや、ちょっとみんなの様子を見に来ただけなんだ」
「そうなんだ、じゃあ用事を済ませたら後でお兄ちゃんちに行くね~」
この子は春奈ちゃん、隣に住んでる小学生の女の子で俺の事を兄のように慕ってくれている。
いつも憎まれ口を叩く馬鹿な弟と交換出来ないかと、本気で考えていたくらい可愛い子だ。
家に着いて玄関を開けようとすると中から扉が開き弟が飛び出してきた。
「いってきまーす……って兄貴? 母ちゃん! ばあちゃん! 兄貴が帰ってきたよ!」
相変わらず騒がしい奴だ、俺が居なくなってから少しも成長していないのか?。
「何? 一郎? あんた帰ってくる予定があったんなら電話で言いなさいよ」
いやいやいや、お袋が電話してきたから帰って来たんであって、別に予定を立ててた訳じゃないんだが。
「おやおや一郎ちゃん、暫く見ない間に随分大きくなったわね」
ちょっと待てばあちゃん! 二十歳を超えてからそんなに身長は伸びないと思うぞ。
と言うか、俺の家族って突っ込み所が多すぎるだろ。
「おや? その娘さんは一郎ちゃんのお嫁さんかい?」
「え? その娘さんって、ばあちゃんにはどんな子が見えてるの?」
俺は慌てて確認をした。
「どんな子って、隣に居るのにおかしな事言うわね……背の丈は一郎ちゃんの肩よりちょっと高いくらいで、綺麗な黒髪が腰に届くくらい長くて、お人形さんみたいに可愛い娘さんだね~、こんな子が一郎ちゃんのお嫁さんだなんておばあちゃんは嬉しいよ」
「へ~、兄貴はそんな可愛い嫁さん連れて来てるんだ~」
少し黙れ!
お前には何も見えていないから茶々を入れてるんだろうが、ばあちゃんには間違いなく彼女の姿が見えてる、それってつまり……
とりあえず荷物を置きたいからと二階にある自分の部屋へ行き、その事を彼女に聞いてみた。
『はい……おばあ様には私の姿が見えています……』
「ミコト、それはばあちゃんも間もなく死を迎えるって事なのか?」
『でも、おばあ様は私が息を引き取る必要の無い安らかな死を迎えられます』
彼女の話によると、ばあちゃんは俺が死を迎えた四日後に黄泉之国へと旅たつらしい。
身内が死を迎えると聞かされて"よかった"と思うのも変だが"死"がどんな事なのかを知った俺には、自分で息を吸い黄泉之国へ行ける事が……誰にも息を引き取ってもらう必要の無い人生の終え方が、凄く幸せな事だと思えた。
それにしても俺の葬式が終わって直ぐばあちゃんの葬式って大変だな……お袋、すまん。
一階に居るお袋の方に向かってお辞儀をしてる所にばあちゃんが声を掛けてきた。
「一郎ちゃん、入ってもいいかい?」
「ん? 別にいいけど、もしかしてその手に持ってるのは俺のアルバムじゃないのか?」
「お嫁さんに一郎ちゃんの事を色々教えてあげようと思ってね」
「待て待て待て! 教えてあげるって何を言うつもりなんだよ!」
目を輝かせて聞き入る彼女に、ばあちゃんが意気揚々と話し始めた。
「あれは確か幼稚園の帰りだったかしらねぇ……」
やめろ~! 幼稚園の帰りにお漏らしをして玄関先で泣いてたのは俺じゃない!
「それでね、一郎ちゃんったら……」
小学校のバレンタインで何も貰えないでふて腐れてたのも俺じゃない! だから、お願いだからやめてくれ!
意図的に脳内から消去してた記憶を呼び起こされるのは耐えられない、ここは一時撤退しよう。
一階に下りるとお袋が夕食の支度をしていた。
「上で何か話してたみたいだけど話を合わせてくれてありがとうね、おばあちゃん最近物忘れは酷くなってたけど、今日みたいに幻覚を見る事なんかなかったのにねぇ」
いや、お袋には彼女の姿が見えないから急に変な事を言い出したと思ってるんだろうけど、何も心配しなくていいぞ、ばあちゃん昔の事すっごく鮮明に覚えてるから。
「一郎、ご飯が出来るまでもうちょっと掛かるから、先にお風呂に入っちゃいなさい」
俺は言われるまま風呂を済ませ、その後部屋へと戻ったが、階段を途中まで来た所で彼女の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
まだ話してるのか……どんな恥ずかしい事をバラされたのか分からないが、彼女が楽しい想いをしたならまぁ良しとしよう。
その日の夕食は実に豪華な品揃えだった。
久しぶりに俺が帰ってきて張り切ってるのかもしれないけど、さすがにこの量は食べきれないぞ、どうするつもりなんだよ?
しかしそんな心配は無用だった。
田舎ならではの付き合いと言うか風習と言うか、近所の知り合いがどんどん集まってきて、あっと言う間に賑やかな宴会となってしまった。
みんな相変わらずだな、あれだけ嫌だった田舎なのに懐かしさと嬉しさが溢れてくる。
結局は田舎暮らしがどうとか、平凡な生活がどうのって問題じゃなかったんだな。
俺自身の心に余裕がなくて幸せに気付く事が出来なかっただけなんだ……。
隣を見ると彼女が笑っている、その顔を見ていると帰って来て本当に良かったと思える。
二時間くらい宴会が続き、皆が程よく酔い潰れて来たのでそろそろお開きにするか。
自分の部屋の扉を開けるとそこには枕を二つ並べた状態の布団が敷かれてあった。
「兄貴は可愛い嫁さんと一緒なんだからこれでいいだろ?」
弟がニヤニヤ笑いながら部屋から出てくる。
この馬鹿が! お前は何も見えないから軽い冗談のつもりなんだろうが、この微妙な空気をどうしてくれるんだよ!
「ご、ごめん、弟の馬鹿が調子に乗って……すぐにもう一組布団を持ってくるから待ってて」
『あの……下にいらっしゃる方も何人かお布団を使われるでしょうから……もし一郎さんが嫌でないのでしたら私はこのままでも構いませんけど……』
嫌などころか逆にこちらからお願いしたいくらいなんだが、まぁそれは置いといて。
確かに一階では隣の親父さんとか他にも大勢酔いつぶれてるし客用の布団が足りないと思う。
そんな状態で俺がもう一組持って来ようものなら「一人で寝るのに何で二組も布団使うんだよ」って言われるのは目に見えてるからな。
かと言って二人で一緒にと言うのはさすがに……。
でも彼女は構わないと言ってくれてるし……う~ん、ここはやっぱり……。
数分間の葛藤の末、結局二人で一つの布団を共有する事にした。
重ね重ね言うが、決して邪な気持ちを抱いてる訳じゃないからな!
部屋の電気を消したが彼女がすぐ隣に寝ているこの状況ではなかなか寝付けない。
『一郎さん……もう寝ちゃいましたか?』
「ううん、まだ起きてるけど」
彼女もまだ寝付けないのか、ポツリポツリと話を始めた。
『温かくて素敵な御家族ですね』
素敵と言えるかどうかは分からないが、弟以外は誰に紹介しても恥ずかしくない家族だとは思う。
『私にも両親や姉は居ますが、各々の使命が忙しくて今日のように集まって楽しくお話をしたり食事をしたり……そんな経験は一度もありません……』
神様の仕事か、確かに俺なんかが想像出来ないくらい大変なんだろうな。
見守る範囲も広いだろうし、人間の数も多いしな。
『だから皆さんの楽しそうな様子が羨ましくて……私も皆さんの輪の中に入りたい……こんな家族の中の一人になりたいって……そう思いながら見ていました』
人間の家族が羨ましいか……神様には神様の悩みや苦労があると言う事なんだな。
『本当ならこんな考えを持つ事はいけないんですけど……月の神としての使命を恨めしく思った事もありました……悲しみに耐えられなくて、いっそ神としての存在その物を消し去りたいと……。
でも今は……一郎さんと出会ったあの日からは違うんです……私が神だから……月と闇を司る神だからこそ一郎さんに出会う事が出来たと……そう思うようになったんです……。
でも、そんな気持ちとは別に、日を追うごとに私の中で一郎さんへの想いが大きくなってくると、息を引き取る為に出会った事が……永遠の別れをする為に出会った事がつらくなってきて……出会う事が無かった方が良かったのかも……そんな想いも溢れてくるんです』
「俺はそうは思わないな!」
彼女の話をさえぎるように放った言葉に少し驚いたようだった。
「出会わない方が良かったなんて俺は思わない、ミコトと一緒に居ると凄く安らぐし幸せを感じられる……もしミコトが居なかったらなんて、そんな事は考えたくも無いし考える必要も無いって思ってる」
『一郎さん……』
「長生きをする事や安らかな死を迎える事が俺にとって幸せだとは限らないよ……死を間近に迎える事でミコトの姿が見えるなら……息を引き取ってもらうような死因でミコトと話が出来るなら……それさえも幸せな事だと、俺はそう思う」
なんか恥ずかしい事言っちゃったな、さて、そろそろ寝なきゃ。
『一郎さん……あの……手を握ってもいいですか?』
そう言うと彼女がそっと手に触れてきた。
『おやすみなさい、一郎さん』
「おやすみ、ミコト」
その日の夜、俺達は手を握り合い、互いの存在を感じながら眠りについた。
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