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* * *
「日本にこんな森があったなんて……」
鬱蒼とした森だった。
森に入る前までは空に一転の曇りもなかったはずなのに、森の中は曇天のように薄暗い。今にも夜がやってきそうなほど、静かで不気味だ。
私は空を見上げた。
木々の葉が密集していて、それが日の光を遮ってる。葉の隙間からはたしかに青空が窺えた。
「それにしても、どこ行ったら良いんだろう?」
森へ続いていた坂道は、大きな湖につきあたり、そこで道が途絶えてしまっていた。私はしょうがなく、とりあえず横道に続く獣道のようなところを通ってきたんだけど……。
辺りを見まわす。
木と芝生と藪しか見えない。獣道もいつの間にかなくなってしまって、とりあえず藪は避けて進んでいたんだけど、もうそろそろそれも限界かも知れない。
戻ろうにも、どこをどう通ったのかわからない。
「完全に、迷子だぁ!」
泣きたい気分で叫んだ。
このまま遭難しちゃったらどうしよう。熊とかでる森だったらどうしよう。ひとたまりもないよ、私なんか。
それどころか、食べ物もないし、水もない……。
「これって、かなりヤバイ状態なんじゃない?」
青ざめながら、思わずぽつりと呟いた。
「スマホがあれば、助けを呼べるのに。私の鞄、どこ行っちゃったんだろう?」
あの白い空間ではたしかに持ってたのに……。空から落ちた時に落としたんだ。いやいや、ちょっと待って、そんなことあるはずないってば。あれは夢なんだから。
ダメだな。パニっくって変なこと考えてるよ。
「グギャア! グギャア!」
「きゃあああ! ――わわっ!」
奇怪な鳴き声が森に響き、慣れない下駄に思わず足を滑らせた。
豪快に尻餅をつく。
「うう……痛い。もう、最悪!」
お尻を擦りながら体を起こす。
「グギャア! グギャア!」
また変な鳴き声がして、びくっと身を竦めた。立ち上がって不気味な森を見回す。
なんだろう。気のせいかな、鳴き声がさっきより近い気がする。
「グギャア! グギャア!」
「!」
気のせいじゃない!
さっきより、絶対近い。
「グギャア! グ……!」
奇妙な鳴き声が背後の草むらで止ったのを感じる。自然と冷や汗が流れ出す。なんなの? もしかして、熊?
(でも、待って。落ち着いて、もしかしたら安全な生き物かも知れないじゃない。熊とかじゃなくて、う、うさぎ……はないか。鳥! ただの大きな鳥かも! 鳴き声は鳥っぽいし、きっとめずらしい鳥よ!)
「グルルル……」
「……っ!」
唸り声が響いた瞬間、私は駆け出していた。
違う! 絶対鳥じゃない! 熊? 狼? 野良犬? そんなのどうでも良い! とにかく、逃げなきゃ!
駆け出した私の背後から、大きな羽音が聞こえてきた。
(え? 鳥? なんだ、結局鳥かぁ。じゃあ、逃げなくても――)
速度を緩めようとした瞬間、羽音にまざって重いものが落ちる音がした。
――バサ! ドスン! バサ! ドスン! ガガッ!
地面を強く蹴るような音も響いてくる。
(なんなのぉ!?)
私はさらにスピードを上げ、反射的に振り返った。
「……は?」
自分がアホみたいにあんぐりと口を開けたのがわかった。脳が、一瞬停止したのを感じる。
「いや、ちょっと、待ってよ」
思わず呟いていた。
オレンジ色の爬虫類のような表皮、蝙蝠のような羽、鋭い牙に、二メートル近くある大きな体。その巨体を羽ばたかせながら、地面を蹴っている。
それは、いるはずのない生物だった。
「ドラゴン?」
そう、あれは、まぎれもなくドラゴンだ。ゲームとか、映画で見るみたいな……。違うのは派手な表皮だけ。
「うそでしょ……そんなことあるはずない」
一瞬立ち止まった足を、我に帰って動かし始める。だけど、足が震えて思うように走れない。小石に躓いて、つんのめる。転んじゃダメだ! 必死に踏ん張って、体勢を整えるけど、やっぱり足が思うように動かない。
「誰か、誰か、助けて!」
「ギャアアア――!」
私が叫んだ瞬間、背後から不気味な悲鳴が響いた。
思わず振り返る。その瞬間、私を追いかけていたドラゴンの首と胴体が、真っ二つになって地面へ落ちたのが見えた。
「え、え?」
数メートル、多分、五メートルくらい先に巨体が横たわる。首の切り口から大量に血が流れていた。
「うっ」
吐き気がやってきて、私は顔を背けた。
「無事か?」
人の声がして、勢い良く顔を上げるとドラゴンの影から毛利さんが出てきた。血の着いた日本刀を懐から取り出した布で拭く。
(もう、何がなんだかわかんない)
けど、私はほっとして、助かったことと、人に会えたのが心底嬉しくて、その場にへたりこんでしまった。
「うっう……」
涙が頬を伝う。
「う、ぐすっ、ひっく」
(ああ、恥ずかしい。けど、止まんないよぉ)
涙を見せないように俯いてると、ふと、ひんやりとした何かが頬を包んだ。思わず顔を上げると、目の前にフードに隠れたクロちゃんの顔がある。
間近で見た彼の頬も、私の顔を包む手のひらも、透き通るように白く、薄っすらとそばかすが見える。フードの奥に隠れた瞳は、深い緑だった。きっと、明るいところで見たら、草原のように美しい。そんな風にぼんやりと思ったとき、クロちゃんの顔が近づいた。
冷えた頬に、暖かくて、やわらかいものが微かな衝撃をあたえた。
私は驚いて身を引いた。目を見開いて、頬に手を当てる。冷えていた体が瞬間的に熱くなった。
「い、今、ほっぺたに、キ、キス!」
「涙、ひっこんだでしょ?」
クロちゃんは軽くウィンクした。
「へ?」
たしかに、涙は止ってた。
だからって、キスするなんて……! でも、クロちゃんってもしかして外国人? 肌が日本人とは違う感じだし。だったら、挨拶みたいなもんなのか。
「早速抜け駆けか」
「早いもん勝ちでしょ」
毛利さんが淡々と言って、クロちゃんは得意げに笑みを返した。
私は小首を傾げる。何の話?
そこに声が飛んできた。
「お~い、無事か?」
数メートル離れた木の陰から、花野井さんが手を振って走ってきた。
「おっ、無事か、良かったな!」
花野井さんは私の前まで駆けてくると、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「きゃっ!」
(か、髪が乱れる)
私は乱れた髪を直しながら、びっくりしていた。頭を撫でられたことにも驚いたけど、花野井さんの表情も意外だった。
なんだかすごく心配してくれて、やっと見つけてすごく安心したみたいな。そんな笑みだった。
(やっぱり、良い人なんだ)
アニキって呼びたい。私、一人っ子だからずっとお兄ちゃん欲しかったんだよね。花野井さんはお兄ちゃんっていうより、アニキって感じの方が似合う。
そんなことを考えつつ、私はちらりと横たわるドラゴンらしき生物に目を向けた。
「あの……あの生物ってなんなんですか? ここって、日本ですよね?」
クロちゃんと花野井さんはぽかんとした表情で顔を見合わせた。毛利さんはあいからず、能面みたいな表情だから何考えたのかはわからない。けど、なんだか嫌な予感がする。
「日本ってなんだ? それが嬢ちゃんの世界か?」
「だから、それやめてくださいってば。日本語話してるくせに、日本がわからないとかありえないじゃないですか。もう、そういう宗教の話はなしとして答えて欲しいんです」
ちょっと強気に言ってみると、ふっとクロちゃんと花野井さんは笑った。
「やぁっぱ、そういう風にみてたか!」
「言っとくけど、ぼく無宗教だから。神様なんか微塵も信じてないよ」
「え……」
じゃあ、どういう?
「とりあえず、さっきの質問に答えた方が良いかな?」
「え?」
「あの生物がなんなのか、だよ」
クロちゃんは横たわる生物を指差した。
私は複雑な気持ちで頷く。
「この生物は〝ゴンゴドーラ〟ドラゴンの一種だね」
(今、なんて言った?)
クロちゃんは呆れたようにため息をついて、ゴンゴドーラとやらを見る。
「飛ぶのがへたくそで有名なんだよね~。全長は羽を広げると二~三メートルくらい。ドラゴンの中では小さい方だね。でも普段は群れでいるから、襲われたら普通の人は生きて帰ってこれないだろうね。よかったね、単独のゴンゴドーラで。ま、ぼくなら群れでも平気だけどね」
クロちゃんは得意気に言ってウィンクしたけど、私はそれどころじゃない。説明もそこそこに愕然としてしまった。
本当に、本気で言ってるの? あれが伝説上の生物であるドラゴンだって? そんなバカな。――でも、じゃあ、他になんだっていうの?
「あ~っ! みつけたぁ!」
突然大声がして、びくっと肩を震わせた。振向くと雪村くんと風間さんが走ってきていた。
「良かった。無事だったんだな! 青龍の門の結界が破られた気配がしたから、もしかしたらと思ってみんなで探してたんだよ。部屋にも居なかったし! この森危険な部族がいて危ないらしいからさぁ、心配したよ!」
ほっと胸を撫で下ろした雪村くんは、私の顔を見てきょとんとした。後から来た風間さんが心配そうに眉根を寄せる。
「どうなさいました? 谷中様」
「え?」
「何か、ございましたか?」
「あの……そこの生物がドラゴンだって――」
「ええ。そうですね」
風間さんは振り返って横たわる生物を見た。
「でも、ドラゴンは伝説上の、空想の生き物で」
「いいえ。実際に存在しております。めずらしくもありません。――この世界では」
「…………」
私は呆然としながら、横たわる生物をじっと見つめる。
口を開こうとして、唇が震えた。今から言う言葉を、どうか、否定しないで。お願いだから。
「ここは、日本ですよね?」
「いいえ。ここは倭和国の十青(じゅうせい)地方です」
風間さんの毅然とした声音に、頭が真っ白になった。
本当に、ここは日本じゃないの? ――私のいた世界じゃないの?
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