第四話・日本じゃありませんでした。

2/2
27人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
 * * * 「日本にこんな森があったなんて……」  鬱蒼とした森だった。  森に入る前までは空に一転の曇りもなかったはずなのに、森の中は曇天のように薄暗い。今にも夜がやってきそうなほど、静かで不気味だ。  私は空を見上げた。  木々の葉が密集していて、それが日の光を遮ってる。葉の隙間からはたしかに青空が窺えた。 「それにしても、どこ行ったら良いんだろう?」  森へ続いていた坂道は、大きな湖につきあたり、そこで道が途絶えてしまっていた。私はしょうがなく、とりあえず横道に続く獣道のようなところを通ってきたんだけど……。  辺りを見まわす。  木と芝生と藪しか見えない。獣道もいつの間にかなくなってしまって、とりあえず藪は避けて進んでいたんだけど、もうそろそろそれも限界かも知れない。  戻ろうにも、どこをどう通ったのかわからない。 「完全に、迷子だぁ!」  泣きたい気分で叫んだ。  このまま遭難しちゃったらどうしよう。熊とかでる森だったらどうしよう。ひとたまりもないよ、私なんか。  それどころか、食べ物もないし、水もない……。 「これって、かなりヤバイ状態なんじゃない?」  青ざめながら、思わずぽつりと呟いた。 「スマホがあれば、助けを呼べるのに。私の鞄、どこ行っちゃったんだろう?」  あの白い空間ではたしかに持ってたのに……。空から落ちた時に落としたんだ。いやいや、ちょっと待って、そんなことあるはずないってば。あれは夢なんだから。  ダメだな。パニっくって変なこと考えてるよ。 「グギャア! グギャア!」 「きゃあああ! ――わわっ!」  奇怪な鳴き声が森に響き、慣れない下駄に思わず足を滑らせた。 豪快に尻餅をつく。 「うう……痛い。もう、最悪!」  お尻を擦りながら体を起こす。 「グギャア! グギャア!」  また変な鳴き声がして、びくっと身を竦めた。立ち上がって不気味な森を見回す。  なんだろう。気のせいかな、鳴き声がさっきより近い気がする。 「グギャア! グギャア!」 「!」  気のせいじゃない!  さっきより、絶対近い。 「グギャア! グ……!」  奇妙な鳴き声が背後の草むらで止ったのを感じる。自然と冷や汗が流れ出す。なんなの? もしかして、熊? (でも、待って。落ち着いて、もしかしたら安全な生き物かも知れないじゃない。熊とかじゃなくて、う、うさぎ……はないか。鳥! ただの大きな鳥かも! 鳴き声は鳥っぽいし、きっとめずらしい鳥よ!) 「グルルル……」 「……っ!」  唸り声が響いた瞬間、私は駆け出していた。  違う! 絶対鳥じゃない! 熊? 狼? 野良犬? そんなのどうでも良い! とにかく、逃げなきゃ!  駆け出した私の背後から、大きな羽音が聞こえてきた。 (え? 鳥? なんだ、結局鳥かぁ。じゃあ、逃げなくても――)  速度を緩めようとした瞬間、羽音にまざって重いものが落ちる音がした。 ――バサ! ドスン! バサ! ドスン! ガガッ!  地面を強く蹴るような音も響いてくる。 (なんなのぉ!?)  私はさらにスピードを上げ、反射的に振り返った。   「……は?」  自分がアホみたいにあんぐりと口を開けたのがわかった。脳が、一瞬停止したのを感じる。 「いや、ちょっと、待ってよ」  思わず呟いていた。  オレンジ色の爬虫類のような表皮、蝙蝠のような羽、鋭い牙に、二メートル近くある大きな体。その巨体を羽ばたかせながら、地面を蹴っている。  それは、いるはずのない生物だった。 「ドラゴン?」  そう、あれは、まぎれもなくドラゴンだ。ゲームとか、映画で見るみたいな……。違うのは派手な表皮だけ。 「うそでしょ……そんなことあるはずない」  一瞬立ち止まった足を、我に帰って動かし始める。だけど、足が震えて思うように走れない。小石に躓いて、つんのめる。転んじゃダメだ! 必死に踏ん張って、体勢を整えるけど、やっぱり足が思うように動かない。 「誰か、誰か、助けて!」 「ギャアアア――!」  私が叫んだ瞬間、背後から不気味な悲鳴が響いた。  思わず振り返る。その瞬間、私を追いかけていたドラゴンの首と胴体が、真っ二つになって地面へ落ちたのが見えた。 「え、え?」  数メートル、多分、五メートルくらい先に巨体が横たわる。首の切り口から大量に血が流れていた。 「うっ」  吐き気がやってきて、私は顔を背けた。 「無事か?」  人の声がして、勢い良く顔を上げるとドラゴンの影から毛利さんが出てきた。血の着いた日本刀を懐から取り出した布で拭く。 (もう、何がなんだかわかんない)  けど、私はほっとして、助かったことと、人に会えたのが心底嬉しくて、その場にへたりこんでしまった。 「うっう……」  涙が頬を伝う。 「う、ぐすっ、ひっく」 (ああ、恥ずかしい。けど、止まんないよぉ)    涙を見せないように俯いてると、ふと、ひんやりとした何かが頬を包んだ。思わず顔を上げると、目の前にフードに隠れたクロちゃんの顔がある。  間近で見た彼の頬も、私の顔を包む手のひらも、透き通るように白く、薄っすらとそばかすが見える。フードの奥に隠れた瞳は、深い緑だった。きっと、明るいところで見たら、草原のように美しい。そんな風にぼんやりと思ったとき、クロちゃんの顔が近づいた。  冷えた頬に、暖かくて、やわらかいものが微かな衝撃をあたえた。  私は驚いて身を引いた。目を見開いて、頬に手を当てる。冷えていた体が瞬間的に熱くなった。 「い、今、ほっぺたに、キ、キス!」 「涙、ひっこんだでしょ?」  クロちゃんは軽くウィンクした。 「へ?」  たしかに、涙は止ってた。  だからって、キスするなんて……! でも、クロちゃんってもしかして外国人? 肌が日本人とは違う感じだし。だったら、挨拶みたいなもんなのか。 「早速抜け駆けか」 「早いもん勝ちでしょ」  毛利さんが淡々と言って、クロちゃんは得意げに笑みを返した。  私は小首を傾げる。何の話?  そこに声が飛んできた。 「お~い、無事か?」  数メートル離れた木の陰から、花野井さんが手を振って走ってきた。 「おっ、無事か、良かったな!」  花野井さんは私の前まで駆けてくると、頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「きゃっ!」 (か、髪が乱れる)  私は乱れた髪を直しながら、びっくりしていた。頭を撫でられたことにも驚いたけど、花野井さんの表情も意外だった。  なんだかすごく心配してくれて、やっと見つけてすごく安心したみたいな。そんな笑みだった。 (やっぱり、良い人なんだ)  アニキって呼びたい。私、一人っ子だからずっとお兄ちゃん欲しかったんだよね。花野井さんはお兄ちゃんっていうより、アニキって感じの方が似合う。  そんなことを考えつつ、私はちらりと横たわるドラゴンらしき生物に目を向けた。 「あの……あの生物ってなんなんですか? ここって、日本ですよね?」  クロちゃんと花野井さんはぽかんとした表情で顔を見合わせた。毛利さんはあいからず、能面みたいな表情だから何考えたのかはわからない。けど、なんだか嫌な予感がする。 「日本ってなんだ? それが嬢ちゃんの世界か?」 「だから、それやめてくださいってば。日本語話してるくせに、日本がわからないとかありえないじゃないですか。もう、そういう宗教の話はなしとして答えて欲しいんです」  ちょっと強気に言ってみると、ふっとクロちゃんと花野井さんは笑った。 「やぁっぱ、そういう風にみてたか!」 「言っとくけど、ぼく無宗教だから。神様なんか微塵も信じてないよ」 「え……」  じゃあ、どういう? 「とりあえず、さっきの質問に答えた方が良いかな?」 「え?」 「あの生物がなんなのか、だよ」  クロちゃんは横たわる生物を指差した。  私は複雑な気持ちで頷く。 「この生物は〝ゴンゴドーラ〟ドラゴンの一種だね」 (今、なんて言った?)  クロちゃんは呆れたようにため息をついて、ゴンゴドーラとやらを見る。 「飛ぶのがへたくそで有名なんだよね~。全長は羽を広げると二~三メートルくらい。ドラゴンの中では小さい方だね。でも普段は群れでいるから、襲われたら普通の人は生きて帰ってこれないだろうね。よかったね、単独のゴンゴドーラで。ま、ぼくなら群れでも平気だけどね」 クロちゃんは得意気に言ってウィンクしたけど、私はそれどころじゃない。説明もそこそこに愕然としてしまった。 本当に、本気で言ってるの? あれが伝説上の生物であるドラゴンだって? そんなバカな。――でも、じゃあ、他になんだっていうの?   「あ~っ! みつけたぁ!」  突然大声がして、びくっと肩を震わせた。振向くと雪村くんと風間さんが走ってきていた。 「良かった。無事だったんだな! 青龍の門の結界が破られた気配がしたから、もしかしたらと思ってみんなで探してたんだよ。部屋にも居なかったし! この森危険な部族がいて危ないらしいからさぁ、心配したよ!」  ほっと胸を撫で下ろした雪村くんは、私の顔を見てきょとんとした。後から来た風間さんが心配そうに眉根を寄せる。 「どうなさいました? 谷中様」 「え?」 「何か、ございましたか?」 「あの……そこの生物がドラゴンだって――」 「ええ。そうですね」  風間さんは振り返って横たわる生物を見た。 「でも、ドラゴンは伝説上の、空想の生き物で」 「いいえ。実際に存在しております。めずらしくもありません。――この世界では」 「…………」  私は呆然としながら、横たわる生物をじっと見つめる。  口を開こうとして、唇が震えた。今から言う言葉を、どうか、否定しないで。お願いだから。 「ここは、日本ですよね?」 「いいえ。ここは倭和国の十青(じゅうせい)地方です」  風間さんの毅然とした声音に、頭が真っ白になった。  本当に、ここは日本じゃないの? ――私のいた世界じゃないの?
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!