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阿川と健吾の噂も、気付けば煙のように消え失せていた。女子社員から二人に向けられていた好奇の目半分哀れみの目半分、そんな視線を全く感じなくなったのは、次の新入社員を迎える桜も満開の頃である。
ベトナムの速水から麗子への連絡は当然何もない中、健吾は速水の計らいで国際開発部に四月から異動となった。
「健吾にも海外赴任なんてあるのかしら?」
ジョッキを片手に麗子が首を傾げる。
総務課恒例である春の準備の手伝いに駆り出されていた麗子が、健吾と食事の時間をやっと持てるようになったのは、入社式から一週間ほど過ぎた週末だった。
「どうだろうな? まだないんじゃないか。国際開発部では俺が一番のペーペーだから。覚えることばかりだよ。麗子はどう? 新入社員の教育係なんだろう?」
賑やかな店内。
二人は陣場町にある焼き鳥屋で、久しぶりの食事と会話を楽しんでいた。
先が焦げタレが少し残るくしを空いた皿に置くと、健吾は生ビールのおかわりを注文した。
開け放たれた扉から入ってくる春の風が心地いい。
この春、受付にも新入社員が二人入り、麗子はその教育係に抜擢された。
受付では三年ほど務めた者が教育係となる通例があった。今回は木村の独断で麗子がその役を任されたのだ。
「先輩たちも助けてくれるし、何よりも木村チーフの気配りが抜群だから、なんとかやっていけそうよ」
新入社員への資料を作成するために、就業時間後、何日も麗子がパソコンを前に苦戦していたことを知っている健吾は、力強く頷く麗子を見てホッと頬を緩めると生ビールに口をつけた。
「私は、木村チーフのようになりたいわ」
「木村チーフ?」
「ええ。時には厳しく、でも誰よりも部下を見ていて必要なときにさりげなくフォローが出来る。そして、部下を信頼し任せることが出来る。そんな先輩になりたいと思うわ」
麗子は瞳を輝かせ鼻息荒くそう言うと、ポテトフライに手を伸ばした。
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