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今までの僕はね、十年もこの大学に勤めていたのに、ずっとおんなじ道しか通ってこなかったんだよ。大通りを真っ直ぐに進んでまた直角に曲がって、商店街を抜ける。本当は遠回りだって知っていたけど、単純で、名前が付いていて、世間によく知られた道を選んでいたんだ。検索すれば一番目にヒットするような、分かりやすくて、誰もが通るような道を、ね」
「…はあ」
この話は、そう長くなさそうだ。今までの経験から察した私は、ドアから顔を覗かせた同僚へ、唇だけで「直ぐ戻る」と伝える。窓の外は徐々に濃紺が覆いかぶさり、比例して非常階段の灯りも鮮やかになってゆく。前のめりに走る緑の人が色濃く光るのを眺めながら、私は次の言葉を待った。
「でもね、今日、分かったんだ。あっちの方にビルが沢山あるし、電車もあっちの方からやってくる。ということは、駅は恐らく“あっち”なんだ。つまり、だ。細かい道が分からなくても、あっちの方へ進めば良い。目印さえ見失わなければ、大丈夫。そういうことに、今日、やっと気が付いたんだよ。
そうなんだ、ナントカ商店街を通らなくったって、神社の前を通らなくったって、国道沿いに行かなくったって、いいんだよ。名前も知らない道で良い、もし行き止まりでも、ちょっと戻って反対側に曲がれば良い。
分からないことがあっても、幾度か間違っても、たったひとつの大事なものさえ見失わなければ、道に迷うことは無いんだ。そんな最高の真理に、僕は今日、やっと辿り着いた。そうさ、きっかけは君だよ。君が教えてくれたのさ」
「…私が? いつ?」
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