壱 二人の志士

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 江戸・氷川のとある邸宅――  けして立派ではない、むしろ質素で畳も少し古いような屋敷の茶室に二人の壮年の男が向き合って座っていた。二人の顔はとても険しい。屋敷の主は、来客が持ってきた面倒事に対し臆面もなく深々と溜息をついてみせた。 「厄介なことになりやがったなァ」  男は客人の前で無遠慮にボリボリと頭を掻くが、そんな不躾な態度に客が不満を持ったりはしない。慣れているからだ。こんなことでいちいち腹を立てていてはこの男とは付き合えないし、むしろそういう剛毅(ごうき)な所を気に入って友人となったのだ。  男は小柄な体躯だが触れれば火花が散りそうな精力に溢れ出ており、やる気のなさげな表情とは裏腹にその目は爛々(らんらん)と輝いていた。  この男こそ屋敷の主で幕府の元・軍艦奉行、勝麟太郎(かつりんたろう)。  ――現代では、勝海舟という名で知られている。 「呑気に構えておる場合ではないぞ。事態は一刻を争うのだ」  安い木綿の着物に小倉袴(こくらはかま)を着ている勝に対し、向き合う客は服装や面持ちから明らかに上流階級の人間であることがわかる。  それもそのはずで男は幕府の重臣の一人、現老中首座にして伊賀守(いがのかみ)、そして備中松山藩の藩主でもあった。その名も板倉勝静(いたくらかつきよ)と言う。  言ってみれば板倉は一国一城の主であり、殿様と呼ばれる身分である。勝は確かに元・軍艦奉行、即ち幕府の海軍のトップだった。だが元々は下級の旗本出身であり、任じられていた幕府の軍艦奉行職も現在は罷免(ひめん)*1されていたため本来ならば気軽に話せるような立場ではない。  なら、何故このように二人は対等に会話をしているのか。それは二人が身分を超えた深い友人関係であったからだ。  板倉は勝の能力と人柄に惚れ込んでいたし、同い年の気軽さもあった。故に、多少の無礼は多めに見てもらえるのである。 「そうは言っても話がちと大きすぎましてな。話したのが板倉さんでなけりゃ、俺は信じていませんよ」  陰陽寮の陰陽師達によるクーデター、京都ごと結界で封印……  隠居してノラリクラリと生活していた勝にとって、その話はあまりに唐突で壮大すぎた。ぬるくなってきた茶をすすりながら、勝は将軍の動向を聞く。 「慶喜(よしのぶ)公はどうされておるので?」 「上様は結界が発動する前に大阪城に下がっていたため難を逃れている。……いや、元々そういうように話をつけていたんだろう。主犯の土御門靖明は帝と京さえ無事なら他はどうでもいいと思っているようだからな。佐幕派の協力を得るためにあえて事前に上様と側近を京から出しておいたのだ」
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