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まだ十代半ばの幼き帝は、いよいよ始まる儀式に興奮と不安を隠しきれないでいた。
靖明は以前から開国に強く反対していたが、それだけなら異国に興味と憧憬のある睦仁はこの儀式に許可を降ろさなかっただろう。
決定的となったのは、小御所会議の内容であった。大陰陽師は辞官納地は流石に行き過ぎである、このままでは怒り狂った幕府軍が攻め入り京都は火の海になるだろうと激しく主張した。睦仁自身、これだけの内容を慶喜抜きで決定したことに若干の負い目を持っている。
更に少年の心を深く揺さぶったのは、先帝は幕府の解体を望んでいなかったという言葉だ。当代将軍慶喜も先代の家茂も睦仁の父・孝明天皇によく尽くしていた。
父に対する忠誠を子が裏切るのは人理に反するとまで言われては、とうとう睦仁も折れざるを得なかったのである。
徳川慶喜は日が暮れる頃には幕府の重臣達を引き連れ京都を出立している。そのように手を回したからだ。
もはや後顧の憂いはない。舞台を清め終えた巫女は深々と礼をしてその場を退き、靖明が舞台の中心に立った。舞台を囲んだ神官達は、儀式の始まりを知らせるように一定の拍子で錫杖を地面に打ち付け、シャンシャンと鋭い金属音が夜空に鳴り響く。
猛々しき偉丈夫は瞼を閉じて丹田に力を入れると、全身の気を整えしっかと両足で大地を踏みしめた。中腰になり肺腑の奥深くまで息を吸い込むと、カッと両目を押し開く。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行……!」
まず九字を切って精神を統一し、神剣を抜き演舞を始めた。そのまま、言霊を口にしていく。
「天陽、天陰、地陽、地陰――」
「星震、丁未、太歳、破極――」
空気が震え、大地が揺れ啼く。
龍脈と呼ばれる京都の地下に流れる命脈が、実際の龍のように蠢き始めた。大いなる胎動をその身に感じると、靖明は神剣を天に翳した。一筋の落雷がその上に落ちる。
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