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「仁科さん。私がバレンタインに、ここのチョコレートを贈ったら、どう思いました?」
「……お買い上げに感謝する」
「では他店のチョコレートなら」
「研究材料だな」
「ですよね。仁科さんがそんな人だから」
栞は一度、深く息を吸った。
「私の気持ちを伝えるには、自分で作るしかなかったんです。技術が甘くても。……『試作』なんて、食べてもらうためのコーティングですよ」
コンセプトという言葉が頭に浮かぶ。そうだ。発表だと思えばいい。伝わればいい。
相手の目を見て話す。目がいやだったら、眉間のあたりを。
栞は仁科の目を見て話した。
「あのチョコレートの真のターゲットは、仕事熱心なパティシエです」
仁科の表情が変わった。
「仁科さんのこと……面倒だなって思うこともありますけど。きちんと指導してくれますし。と、時々、いいなって、思っています」
栞は顔を赤らめて、声を小さくした。仁科は何も言わない。
栞はいっそう思いきって、聞けなかった言葉を相手にぶつけた。
「い、今、付き合っている人はいますか?」
「いや」仁科は抑揚のない口調だった。
「今はいない」
「……そう、ですか」
栞は言葉に詰まった。拒絶されている気がして、視線を床に落とした。
会話が途切れた室内で、焼きあがりを知らせる音がオーブンから響く。
仁科は黙ってバックヤードへと戻った。栞はいたたまれなくなり、胸を押さえた。
……早まったかもしれない。
彼と気まずくなったら、ここのアルバイトを続けていけるだろうか……。
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