82人が本棚に入れています
本棚に追加
仁科は客がいないのを確認すると、休憩室から椅子を持ってきた。栞は椅子に座り、額の汗をぬぐった。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
仁科は気づかっているものの、栞の緊張の理由はわからないようだった。
「だから、発表は苦手なんですってば」
「そうあがるな。伝わればいいんだ」
「……はい」
栞は肩をすぼめた。側のオーブンから、シュー皮の焼ける香りが漂ってくる。
「ノートを貸してくれ」
仁科は栞からノートを渡されると、デザイン画に視線を落とした。
「コンセプトは、本命用、兼、女性の自分用であっているか?」
栞はこくりと頷いた。
「だったら、三種類の味はどれもいい。アーモンド入りが少し甘すぎると思ったけれど、子供や女性には喜ばれるだろう」
「……仁科さんは、どの味が好みでしたか?」
「オレンジピール」
ミント入りは、もう少し風味を抑えたほうが広く受けるかもしれない。仁科はそう言ったあとで、栞の創意工夫を褒めた。
「――ここからは、俺の見解が大きくなるから、話半分に聞いてくれ。こうしたほうが売れると思うって話だが……それが確実にわかれば、職人は苦労しない」
「は、はい」
平日の昼過ぎ。客がいない店内では、説得力が増した。
「三種類全部、同じスイートチョコレートを使ったよな」
「はい」
「ビターチョコレートや、あとホワイトチョコレートも使用したほうがいい。見栄えも良くなる」
「ホワイトチョコレートですか……」
栞は小さく溜息をついた。
「実は最初、ホワイトチョコレートでも作ろうとしたんです。だけど舌触りが、すごく悪くなって」
「ああ、テンパリングか」
「はい」
チョコレートを溶かす作業――テンパリングの段階で失敗した、と栞は話した。
カカオマスが入っていないホワイトチョコレートは、茶色いチョコレートよりも溶ける温度が低い。栞はチョコレートを扱い慣れていないので、そこを見落とした。
必要以上に高い温度で溶かしたチョコレートは、ぼそぼそした食感に仕上がり、艶もない。
最初のコメントを投稿しよう!