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洋菓子店のハリネズミ
休憩に出た店長は、あと三十分は帰ってこない。
オーダーケーキの注文でも来ない限り、しばらくふたりきりで話せる。
平日の正午過ぎ、小さな洋菓子店にて。
東山栞は客足が切れたタイミングで、レジ台で売上確認をした。そして、バックヤードにいるパティシエに声をかけた。
「あの。この間に渡したチョコレート、食べてくれました?」
パティシエの男は作業中の手をとめて、考えこんだ。
「ああ、バレンタインにくれたチョコレートか? ……そうだな」
栞はどぎまぎしながら言葉を待った。その間に彼を見つめた。
仁科崇人。二十二歳。
生真面目な性格が、容姿にも表れている男性。
眉と髪はいつも整えられている。耳にかからない長さの髪は、落ち着いた茶色。
栞がバレンタインに、手作りのチョコレートを渡した相手だ。
「まずあのチョコレートの、ターゲット層とコンセプトを聞かせてくれ」
「いやです」
「じゃあ『食った』で終了だ」
「それも、いやです」
「試作品の感想を聞かせてくれって言ってきたのは、そっちだろうが」
「そうですけど。ちょっと面倒くさいです」
栞は仁科から逃げるように、ショーケース側を向いた。午前中に並べられた華やかなケーキ達は、まだたくさんあった。
栞はショーケースで、自分の容姿を確認した。
明るい茶色に染めた髪は、後ろでひとつにまとめられている。ココア色の帽子も曲がっていない。化粧をしていないと幼く見られる顔は、まだ頬紅が崩れていないのに、暗い。
二月十六日、正午過ぎ。
繁忙期であるバレンタインが二日前に終わり、街外れにある洋菓子店『La maison en bonbons』は、少し暇だった。ホワイトデー用のクッキーや瓶入りのジャムが、陳列棚に並んでいるが、まだそれらを買いに来る客はいない。
二日ぶりにアルバイトへ来た短期大学生の東山栞は、上司であるパティシエ、仁科崇人の態度に、うんざりしていた。
……手作りチョコレートを『試作品』と言って渡したことに、こうもこだわられるとは、思わなかった。
ハリネズミをかたどった、三種類のチョコレート。
学校とアルバイトを終えてからの、夜の十時から作ったけれど。まだ食べてもらえてないのだろうか。食べてもらうには、面倒なコンセプト発表をしなくてはいけないのか……。
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