月下の狂騒

4/13
前へ
/13ページ
次へ
 取り敢えずの生活をするのに必要最低限の着替えと洗面用具等を詰めたスーツケースを転がし、満留が大伯母の家にやって来たのは、お見舞いから二日後の昼前の事だった。  大伯母の家は日本家屋…と言い切ってしまうにはやや庶民的な家で、しかし、玄関は引き戸、台所以外は畳敷きの昔懐かしい造りの家ではあった。満留の実家から遠くない場所にあったからか、母が大伯母夫婦と仲が良かったからか、満留は幼い時分には両親と共にこの家をよく訪れていて、満留にとっては久し振りではあるが馴染みの深い場所だった。  祖母から預かった鍵で玄関の戸を開け土間に足を踏み入れると、目の前は雨戸とカーテンで閉ざされた家独特の湿気と薄闇が満ちていた。そういえば、満留が両親抜きで初めてこの家に泊まった幼少時、馴れない和式の家の造りが怖くて、夜、トイレまで大伯母に付き添ってもらったことがあった。大人に近づくにつれ、その時感じたこの家への恐怖感は無くなっていったが、流石に無人の暗い室内には子供の時に感じた「何かが出てきそう」な感覚を思い起こさせられた。  満留は靴を脱ぎ廊下に上がると、玄関に近い部屋から順に窓を開けて行った。客間、居間、台所、寝室、風呂場、トイレ。順に春の光と風を通していったが、しかし、家の一番奥まった場所にある木戸の前に至った時、満留はそれを開けることを躊躇した。  その木戸を開けた先にある部屋はその昔、満留が出入りを禁じられていた大伯父の書斎だった。今は亡くなっている大伯父は満留に対して大伯母同様に甘く、厳しい事を言ったりはしない人だったが、その部屋に関してだけは入らないようにときつく言い付けてきた。  入った事がないだけに、部屋の中について満留は大伯母から聞いた話しか知らないが、大伯父は骨董品集めが趣味だったらしく、部屋は書斎とは名ばかりの物置になっているとのことだった。そういえば、大伯父は本をよく読んでいたが、読書の定位置としていたのは書斎ではなく専ら居間の座椅子だったから、大伯母の言っていた「物置」という状態も何となく察しがついた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加