【午後三時二十一分】

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【午後三時二十一分】

 M銀行、周囲。 「署長は桜田門に行った? 現場は俺に任せるだと」  M銀行の現場に着いた野々宮と橘。  そして、M銀行の周りは規制線の囲みの外から野次馬が騒然として集まり、幾台かのパトカーが赤色灯を付けたまま待機して、多くの警察官が大声で注意を促している最中、野々宮は先に到着していた倉敷からの説明に怪訝な言葉で返した。 橘も懐疑的な気色を見せ野々宮に話しかけた。 「何でこんな緊急事態に署長は警視庁に向かったんですかね?」 「ビビってんだろ。こんな凶悪事件は多分今まで経験した事なかったから、何か理由付けて警視庁に行って取り敢えずご注進して、今後の対策をご相談って算段ってわけだ。現場指揮とかで責任逃れしたいってのが見え見えだが、せめてSITあたりに応援要請してくれる気遣いぐらいはして欲しいもんだけど、まあ、構わん。署長は俺に一任するって言ってたんだよな?」  腕を組んだり解いたりして落ち着きのない様子を見せる倉敷に対して、鋭い眼光をして再び野々宮が問い質す、倉敷は目を泳がせながら黙って首を縦に振り、 「よし、ある意味邪魔が入らないので都合が良い。取り敢えず発泡許可もらって、OKが出たらすぐに狙撃班を配備。あ、そうだ。銀行内部の構造も知っておきたいから、どうにかして行内の設計図だか図面だかも入手しろ。強行突入の可能性もあるからな。M銀行の本社に電話して、何処ぞの建設会社だか知らんが、店内を詳しく知る奴と連絡つけて、資料を取寄せろ。あと何度も言うがまだ警察が囲まれてから、犯人の方から動きがないんで、いつ何をしでかすが分からないから、周囲の見物住人の安全の確保の予断は許すなよ。人質の数やどれだけの武装をしているか、気懸りな事はたくさんあるが、何にしろ被害者を増やすのは避けたい」  テキパキと野々宮は自分を囲む警官に指示を出し、その指揮能力に橘は感心しつつも、足元にあった紙切れに気が付き、それを手にした。 「コイツは……」  と橘は一人言を漏らすと、その台詞に野々宮は感づき、無言で橘が手に持つ多少のシワが残る一枚の紙切れを取ると、 「この紙が例の犯人が撒き散らした印刷チラシってヤツか。うわ、マジで内容は手前の履歴書じゃねえか。わざわざ写真まで載っけてやがる。自己顕示欲の塊だな。で、この字面を丸々信用するなら、犯人の名前はやはり沢田大翔で、住所も先の夫婦殺害の現場と同じで、年齢は二十九歳。けっ、わざわざ自分の学歴と職歴まで書いてある……って、何だ、こりゃ? ジョークのつもりか。趣味はクレー射撃に炙り、だと? 入社、の動機じゃなく、銀行強盗の動機がシャブ代確保? じゃあ、覚醒剤を得る為の金目当ての銀行強盗って事なら、銀行内には危ないシャブ中毒者の凶悪犯が銃を振り回してるって事か?」  橘の目を見つめて意見を求めるような表情で尋ねた。 「その、可能性が、強いですね。何処までヤクに依存しているかは、分からないですけど」  やや噛みながら橘がそう応えると、野々宮は一度下唇を舐めて、 「だとしたら厄介だな。今、犯人の状態はどうなんだ。ハイでイっちまってるのか、禁断症状でイっちまってるのか、今後の交渉に関わるぞ、相手の心理状態は。ただクレー射撃ってのが散弾銃の所持の整合性にはなるな。散弾銃とか猟銃とかって所持の免許が必要だろ。ちょっとその点を洗ってみろ。銃所持の登録が都か公安にしてあるはずだ。一応は裏付けのために沢田大翔の名義の散弾銃所持者を確認しろ。あと、前科も調べとけ」  近くにいた制服警官は軽く頷くと直ぐに野々宮の指示に従った。 野々宮は喧々たる状況とはいえ、今できるコマンドを終えた感を覚え、側にあった自販機で缶コーヒーを二個買いに行き、片方を橘に渡して一息つこうとした。橘は一礼して野々宮からコーヒーを受け取ると、野々宮はコーヒーを飲みながら、肩をほぐしつつ、面倒臭そうに、 「シャブ代稼ぎに銀行強盗を仕掛けて、その前に両親に迷惑をかけたくないからか、それとも積年の恨みあっての事かは知らんが二人を撃ち殺して、さらには強盗仕掛けて既に三人も殺している」  と言いつつ顎をしゃくり上げて、規制線の枠内で野放図に置かれている三人の射殺体を指した。さらに続けて、 「事件の線、というか流れで言えば単純で然(さ)もありなんな内容なんだがな」  野々宮はコーヒーを啜りながらポツリと呟いた。さり気なく放った野々宮の一言。だが、橘にはその何気ないその言葉に違和感を覚えた。 〈単純な内容、なんかじゃない〉  事件までの詳しい経緯は分からない。しかし、沢田大翔の人生からすれば、決して単純の一言では片付けられない軌跡があったはずだ、と橘がパトカーの扉に背をもたれ腕を組みながら考えていると、野々宮は再び犯人の撒いたチラシに目を通し、 「何が特技と好きな事は、野球、だよ。これも冗談もつもりか」  そう言ってチラシをクシャクシャにして地面に落とした。 「…………」  橘は野々宮のその言葉に何も反応する事はなかった。だが、野々宮のように苦笑した顔を浮かべる事もなかった。ただ眉間に中指を当てながら目を瞑っているだけだった。  そして、 「兎に角、いつまでも三人のホトケさんを路上に置いとくわけにもいかんな」  と野々宮は言葉を零して、コーヒーを一気に飲み干して、地面に空き缶を置き勢いよろしく力強く踏み潰すと、拡声器を手にした。 「あーあー、犯人に告ぐ。これから銀行前に倒れている遺体を回収したいので、警官がその作業のため近づくが、必要以上の挙動は行わないので、発泡行為による抵抗などは避けて欲しい。そして、遺体回収作業の後に君からの要求を聞こうと思っている。そして、そのやりとりの上で、そちらにも拡声器などがあった方がお互い明確に声が聞こえて交渉がしやすいと考えているので、銀行前の入口自動ドアのすぐ側に、拡声器をやはり警官が置きにいくので、武器での威嚇を止めて欲しい。同じく不審な動きなどこちら側はしない。信用してくれ。あーあー、どうか返事を頼む」  そう言った後に野々宮は拡声器を下げると、 「さあ、どう出てくる?」  どうにも現場にはそぐわない不敵な笑みを漏らし、目も輝かせつつ舌なめずりをして一人呟いた。むしろ危機的状況かつ迅速的対応を求められている今の環境に、活き活きとした身振り手振りをして、弄するかの如く指示を仰がせている野々宮の様子を遠巻きに見ていた橘は、職人肌の刑事か、と署に居た時にさり気なく野々宮が告げた言葉を思い出した。
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