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喧騒と嬌声、酒の匂いと何かの甘い匂い。
目的の男は一番奥の、立派な寝椅子に座り、カードに興じていた。隣には蘭を座らせ、肩に腕を回している。男の番が来て、両手でカードを扱う時、グッと蘭を抱きしめる形になる。
寝椅子の横には女が侍り、飲み物を作っていた。蘭と男の前に、酒が置いてある。
「やばいな」
壁際に立ち、控えているふりをして、男は信に囁いた。言われなくても、信にも蘭の様子がおかしいのが分かった。
体が脱力し、目がとろんとしている。
先ほどから幾度となく男に胸を揉まれても、避ける素振りもなく、身を預けている。
蘭の胸を撫でまわしていた男が、高まってしまったのか、あろうことか腰を振り始めた。こちらも目がいってしまっている。
賭場の給仕係が飛んできて、我を忘れかけている男に何事か囁いた。男はしぶしぶ立ち上がり、蘭を引っ張って給仕係の後について行った。蘭はされるがまま、よろけるように、引っ張られていく。
信は蘭を助けようと飛び出しかけた。しかし、腕を捉まれた。殺気だった顔で振り返ると、男はしぃっと信を制した。
「先回りしよう」
従業員専用と書かれた戸をくぐると、その先も廊下が続き、扉が何戸も続いていた。
男は一番奥の扉を開け、中に入った。
「寝台の下へ。すぐに飛び出すなよ」
男は早口で言うと、自分も潜り込む。じっとしていると、しばらくして、人の乱れた足音が聞こえてきた。扉が開くと、給仕係の挨拶の声がして、すぐに扉が閉じられた。
信が飛び出そうとすると、「グッ」という男のくぐもった声がして、どさっと何かが倒れる音がした。
信が飛び出すと、蘭が涼しい顔で立っていた。
寝台の下から飛び出してきた信を見ても、蘭は驚かなかった。少し得意げに言う。
「だいぶ分かったわよ」
そして首を少し傾げた?
「信?なにか怒ってる?怖い顔してる」
信は蘭の全身を見た。服は少し乱れているが、けがはしていないようだ。信は蘭を抱きしめた。
「酒を飲まなかったのかい?」
信ではない男の声がしたので、今度こそ、蘭は驚いた。寝台の下から這い出てきた見知らぬ男に、目を丸くする。
「だれ?」
「初めまして」
男は面白そうに蘭を見た。
「俺は、ナナ。君を助けに来たよ」
「あんた、名前……」
信が、気に入らない、という風にナナを睨みつける。
ナナは大げさに、両手を上げた。
「そんなにつっかかるなよ。あんた、シンて言うんだろ?聞いちゃったから、俺も教えただけ。それに、そっちの彼女の名前も聞きたいし」
「……ラン」
蘭は答えて、付け加えた。
「助けてくれて、ありがとう」
「まぁ、いらなかったみたいだけどね」
ナナは答えて、蘭に近づいた。
信が思わず、蘭をかばうように前に立つ。
「で、お酒は飲まなかったの」
ナナが重ねて訊くので、信は逆に質問した。
「酒に何か入っていたのか?」
「薬……媚薬?」
答えたのは蘭だった。二人の男が蘭を見る。
「他に連れてこられている女の様子もおかしかったから、出されたお酒をこっそり逆にしたの。男の方のは口をつけていたから、大丈夫だと思った。それでも、口をつけるふりをして、あまり飲まないようにはしたけどね。後は、周りの女の様子に自分も合わせただけ。そうしたら、男の様子がおかしくなってきて、焦った。睡眠薬かなと思っていたから、驚いた」
そう言って、自分の身体を見下ろすと、ため息をついた。
「気持ち悪かったなぁ」
「で、ここに連れ込まれてすぐに」
ナナが先を促すと、蘭は頷いた。
「蹴り上げたら、すぐに気絶した」
床に伸びて倒れた男は、泡を吹いて、白目を剥いていた。
「すごいね、彼女」
ナナが信に言う。
「まあな」
信は仕方なく、答えた。
ナナは二人を代わる代わる見つめると、真剣な顔になった。
「その内、この男の迎えが来る。早くここを出よう。それから、ランが何を飲まされそうになったか教えてやる」
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