Ⅳ 不穏

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 連れられて入った部屋には、もう人が集められていた。  狭い部屋に、むさくるしい男ばかりが十人ほどか。何かあった時、蘭を連れて逃げられるか、信は算段した。ただのならず者なら問題ないが、集まっている連中はそうではないようだ。特に、壁際で場所を取っている大男に、信は驚いた。コルも大きいが、この男は規格外だ。腕を組んでじっと見られていると、熊に睨まれているような気になった。 「これは、えらく麗しいお客人だな」  長い髪を編んだ、派手ななりの男が、口笛を吹いた。 「何もするなよ。さっきこの娘に蹴り上げられて、北の坊ちゃんが泡拭いて、白目むいたんだから」  ナナが言うのを聞いて、一同はわっと歓声を上げ、手をたたいて喜んだ。 「やるなぁ、姉ちゃん」  蘭の近くにいた、日に焼けた筋肉質の男が、感心した顔で蘭の肩をたたいた。  あのぶよぶよの男は、よほど嫌われているらしい。 「それで」  ナナの声の調子が変わったことに気が付いて、皆歓声を止めた。 「あんたたちは何者だ」  皆の視線が二人に集まる。  ……さて、どこまで言うべきか。信は自分を見ている視線を見つめ返した。  ここはおそらく下流の町で、ナナたちは現状に反抗している者たちのだろう。様子から見て、ちゃんと組織だっている。問題はその敵意が、王宮まで達しているかということだ。そうであれば、王太子を出すのはまずい。 「俺たちは北からよくないものが入ってきていると聞いて、調べに来た」  ナナが何か言いかけたが、信がかぶせるように先を続けた。 「恐らく、ナナが教えてくれると言ったものだ」 「……お前たちがどこから調べに来たかということは」  ナナが低い声で言う。信はナナの目を離さないように見つめた。 「あんたたちが何者か知らないうちは、教えられない」  そして、ニッコリ笑った。  あの、悪魔のほほ笑みだわ。蘭は信の顔を見なくても分かった。 「でも、あれをどうにかしたいのは、君たちも同じでしょ」 「どうにかできると?」 「恐らく、君たちよりは」  そう言って、少し考えてから、言い換える。 「君たちと協力すれば」 「……」  部屋はしぃんと静まり返った。信の言葉を皆が吟味しているようだ。信の声だけが、静かな場所で、静かに響く。 「ここに来るとき、赤い道で浮浪者にたかられたよ。みんな空洞のようなうつろな目をしていた。そのくせ執拗で、蹴り落されても、跳ね飛ばされても、痛みも感じていないかのようだった。まるで人間じゃないみたいだった」  信が部屋にいる男たちをぐるりと見回す。 「麻薬だね」  男たちの顔からは表情が消えていた。 「ランが飲まされそうになったのも、カーラの父親が溺れたのもそうだ。もしかして……」  信の言葉は人の心に深く、しっかり突き刺さる。蘭は良く知っていた。そして信がそれを狙って出来るということも知っていた。 「あんたたちの家族も、あの中にいた?」  信がそう言うと、壁際の大男が叫び声を上げ、信の胸倉をつかんだ。信は宙に浮いた。 「ゴン、よせ!」  ナナが大男の腕を掴む。ゴンと呼ばれた大男は我に返って、信を下ろした。 「あの薬はカエルムという」  ナナは怒りを抑えた声で言った。信は喉を抑えながら、頷いた。 「浮遊感、多幸感、万能感、精力的にもなるし、媚薬としても用いられる……そして常習性がある。止められなくなり、禁断症状が出て、最後には頭も体もおかしくなる」 「もともとドムにあったものなのか?」  信が尋ねると、ナナは首を振った。 「いいや、北からだよ。他の薬に紛れて入ってきたんだ」 「北」  ドムはこの国の北端に位置する。ドムの北は高く連なる山々に遮られ、その先は…… 「ガザ帝国さ」 「交易があったのか」  ナナの口ぶりでは昔からあったかのようだ。ほとんどの国民が外国の存在も知らないような国で、それは驚きだった。  しかし、ナナは首を横に振った。 「交易と言うほどではないさ。あの山を越えるのは、命懸けだ。多少の実入りでは、誰も命を懸けようとは思わない。ガザでは生きていけない者が、たまに命を懸けて、こちらに来ただけさ。薬草を握りしめてね」 「ところが命を懸けてもいいほどの実入りのものが、現れたわけだな」  信は先が読めてきて、促した。 「そうだ。カエルムは命を懸けてもいいほどの高値で売れた。一回命を懸ければ、一生暮らせるほどのな。そしてこちらの商人たちも、それを卸すことで莫大な富が得られる。出し惜しみすればするほど、値は吊り上がっていく。それでも、中毒者たちは身を滅ぼしても買う」 「……しかし、都では北から入ってきている果物や織物をよく見かける。それと一緒に恐らく、カエルムも入ってきている。まだ目立ってはないが……」  信が考え込みながら言うと、ナナは事も無げに言った。 「道が通ったのさ」  信がはじかれたように、顔を上げた。 「山をぬっての道か? しかし金も人もいるだろう」  いかにドムの商人が暴利を貪っていても、山をぶち抜いての道をつくることは出来ない。だいたい、勝手に道を造ることは許されていない。隣国への道などもっての外だろう。 「ドムの商人は専売特許を貰っている。だから誰にも邪魔されず、自分たちの言い値で売れる。じゃあ、誰に専売特許を貰っていると思う」  誰に……この国で専売を許可できるのは、最終的に許可できるのは、一人しかいない。 「太陽王か」  信の顔が強張った。ナナはそれを見逃さなかった。 「カエルムとは天国という意味だ。天国への道を太陽王は造って下さったのさ」  ナナは自嘲気味に笑うと、信を睨みつけた。 「さぁ、それを聞いても、俺たちと協力するか」 「しよう」  信は静かに言って、微笑んだ。悪魔の微笑み。さぁ、何から始めようか。 「俺は王を抑えよう。ナナたちの方が、この町には詳しい。カエルムがどういう定期で、どのように入ってくるか、どこにおさめられているか、探れるか?」  信の言葉に、皆の目の色が変わった。もう、信と蘭が何者か、という疑念はどこかに行ってしまったかのようだ。 「分かった、そちらは調べよう。しかし、本当に王が抑えられるのか」  不審そうなナナに、信は冗談交じりで言った。 「できるよ。信じられないなら、あんたたちも調べる程度にしておいてくれ。逃げられるように」  そう言われて、ナナはむっとした顔をした。不敵そうな信の顔を見ていると、自分が臆しているような気になってくる。 「分かった、信じる。俺たちも全力を尽くすから、よろしく頼む」  信がうなずくのを見て、蘭はアランを思った。アランはまた悩むだろう。毎夜アランが苦しめられている悪夢を思い出して、蘭は深くため息をついた。
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