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西の館の近く、ナナは倉庫の隣の屋根に身を潜め、倉庫の中を検める近衛兵たちを眺めていた。
ナナは西の大商人の館に潜入したものの、ほとんどやることはなかった。倉庫を見張っていたが、館の者は誰も何も取りに来なかったからだ。あきらめたのか?不審に思って、自分が忍び込んだが、カエルムはきちんとそこに保管してあった。
しかし……量が少なかった。
西の大商人はあまりルートを開発できていなかったのか?北や東に比べて、やや存在感の薄い主の容貌を思い出して、ナナは頭をひねった。
考え込んでいると、肩をたたかれて、はっと振り返る。身構えるが、シンとランであった。
「ここは抵抗がなかったようだな」
動き回る近衛兵たちをじっと見て、信は言った。
「北と東はうまくいったか?」
ナナが訊くと、信も蘭も当然というように頷いた。
「あいつらは大丈夫かな」
荷馬車を襲いに行った連中を気に掛ける。色々こそこそと嫌がらせはしたが、襲撃などということは、実は初めてだった。
「ああ、国境近くで荷馬車を襲撃する事件があったと、さっき報告があった。略奪されたところで、近衛兵が発見した。荷馬車の積み荷はカエルムで、近衛兵が早速押さえた」
信はそこで言葉を切った。こいつわざとだと分かっていても、先を促さずにはいられない。
「で?」
「賊は全員、生きたまま捕らえられた。ところが近衛兵が積み荷を検めたり、運び屋を尋問したりしている間に、みんな逃げてしまったらしい」
信はやれやれとため息をついた。
「縄がゆるかったんだな」
そうして、ナナを見る。そこにはねぎらいの顔があった。
「近衛兵は忙しいから、もう賊を探すことはないと、帰ったら言ってやれ」
「お前たち、王宮の人間だったんだな」
出し抜けにナナが言った。表情はむしろ無表情だ。
「ドムの人間は上の連中ともかく、下の連中は王宮が嫌いだ。ドムがこうなってしまった原因だからな。今回のことは感謝するが、お前たちはもう都に帰れ。これ以上、この町に引っ掻き回すものはないぞ」
蘭は少し驚いた顔をしていたが、信は表情を変えなかった。
「ナナ」
「なんだ?」
威嚇するようにナナが返事をする。
「近衛兵たちが、今カエルムの道を封鎖している。いずれ埋めるつもりだ」
ナナは眉をひそめた。カエルムは害であったが、あの道はドムの流通を大いに潤してくれる。たいした産業もないドムが立ち直るには、あの道が必要だ。
「なんだって、埋める?別にカエルムが入ってこないように、関所を設ければ済む話だ。あの道を造った理由は悪かったが、道自体が悪いわけではない」
しかも、近衛兵がそれを強行するとなると……
「王宮への反発が強くなるぞ」
「そうも言っていられないんだ」
信は静かに言った。
「ガザが戦の準備をしている。あの道を通って、こちらに攻めてくるぞ」
ナナは一瞬ふらついたが、両足で踏みとどまった。予想していなかったわけではない。カエルムの道はガザの侵攻の道になりうる可能性があると、ナナも思っていた。
今か、と思った。やっと長年の念願がかない、これから町を元に戻そうというこの時なのか。
「違うな」
ナナが何を考えているのか分かって、信は冷たく言った。
「ガザが攻めてくるから、王宮はお前たちの要求を、こんなに早く呑んだんだよ。第一の目的はカエルムの道の封鎖だ」
「信……」
蘭が信の名を呼んで、たしなめた。不思議な響きで呼ぶのだな。ナナは冷えていく心の中で、思った。
「帰ろう、蘭」
信はするすると屋根を降り始めた。
「おい、シン」
ナナが呼び止めると、信は立ち止まって振り返った。
「近衛兵を率いてきたのは、コルニクスという男か?」
信は片眉を少し上げた。
「知っているのか?」
ナナは笑って言った。
「ああ、有名だからな。そのコルニクス殿に伝えておいてくれ。この度のご助力、大変感謝いたします、と。あと」
ナナの顔にあざけるような表情が浮かんだ。
「裏切るのなら、せめて、名前を変えろとな」
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