Ⅴ 神意の行方

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 自分の城である、執務室の扉がノックもなく開き、そこに現れた顔を見て、サム・カロイは、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。  自分が今この世で一番嫌いな人物。しかし、一番必要としている人物が、そこにいた。 「お久しぶりですね、兄上」  ニコニコと擬音が飛び出しそうなワザとらしい笑顔を浮かべて、その男はスタスタ入ってきた。案内も請わなければ、供も連れずに入ってくるのはいつものことだ。兄弟水入らずで話したいからだと言う。  兄上などと思ってもいないくせに。 「いつ帰って来たんだ、ウェン?ドムは大変だったようだな」  サム・カロイはぶっきらぼうに言った。サムは弟と違って、表情を取り繕うことが苦手だ。ウェンはおや、と首を傾げた。 「おや、おかしいですね。大変だったようだとは。通達の書類を作ったのは、父上ではないのですか?」  それとも、と付け加える。 「次官である、兄上ではないですか?」  サムは押し黙った。  その顔を見て、ウェンは嗤った。 「いけませんね、兄上。父上の跡を継ぎたいのなら、素知らぬ顔で嘘をつくぐらいでないと、やっていけませんよ」 「……何しに来たんだ」  ウェンは大仰にため息をついた。 「何しにとはご挨拶ですね。誰のおかげで、この執務室を自分のものに出来たか、お忘れですか?」 サムの顔が強張る。 「帰京のご挨拶にうかがったんですよ。ドムの大商人は辞めました。あなた方が陛下を懐柔するためにお渡ししていたものは、もう入ってきません」  ニコニコ  ウェンの笑顔は崩れない。 「近衛兵警備隊長は優秀なようで、あなたが作った通達を、すみやかに実行しました。東と北と西の倉庫にあったカエルムはすべて焼却処分。道も今塞いでいます。多少出回っているものがありますが、じきに手に入らなくなるでしょう。陛下を取り込む、または脅すネタもここまでです」  サムは次第に色を失っていった。 「もしかして、予想していなかったんですか。あの通達が実行されたらどうなるか。それとも、もみ消されると思いました?」  いつものように?  ウェンはむしろ憐れみを浮かべた顔で、兄を見た。 「愚かですねぇ」  ウェンはまたニコニコ顔に戻った。 「これからあなた方はご自分の力で、成り上がってください」  せいぜい頑張ってくださいね。  そう言って、ウェンは部屋を出ようとした。そして思い出したように、振り返っていった。 「父上にも、そうお伝えくださいね」  兄の目は、今や完全にウェンを睨みつけていた。 「おい、お前はこれからどうするんだ?」  かすれた声で、サムが訊く。扉に手をかけながら、ウェンは振り返らずに言った。 「あなた方には関係がないことです」  (ばい)()の子が。  そう罵るのを背中に聞きながら、ウェンは執務室の大きな扉を閉めた。 扉の外では、執事が待っていた。扉の音と共に、そっと目線を下げた。 「父上は?」  ウェンが訊くと、執事は顔を上げずに言った。 「四子宮だそうです」 「ははーん」  ウェンは楽しそうに声を上げた。執事は微動だにしない。 「愛しの我が弟のところかな」  さすが父上。息子ほど愚かではないらしい。  四子宮に足を向けながら、ウェンは思案した。どうすれば、一番効果的かな。  執事が後に続きながら、珍しく焦ったような声を出す。 「四子宮に行かれますか。では先ぶれを」 「え、それ必要?」  憤慨したように言ったのは、わざとだ。十年ぶりに会う臣下の息子が、前触れもなく王太子を訪ねれば、無礼となる。執事の懸念も最もだ。しかし、ウェンの場合は結局許されるだろう。 「さて、どうするかな」  すると、向かう先から、年配の男が歩いてくるのが見えて、ウェンは足を止めた。 「父上」  ウェンが父上と呼ぶ人物、内大臣カロイもウェンに気が付き、足早に近づいていた。 「戻ったか」  一言それだけ言う。 「はい」  ウェンもそれだけ答えた。 「父上は王太子様のところに?」  カロイは頷いた。声を潜めて言う。 「陛下は薬の禁断症状が出ておられる。アラン様はこれを機に止めさせるとおっしゃっている」 「……」  カロイは更に声を潜めた。 「カエルムはもう手元にないか?」  ウェンは申し訳なさそうに笑った。 「ええ、すみません。近衛兵が優秀だったもので」  カロイは頷いた。そして、今気が付いたように言う。 「今日は何しに、ここに来た?まさか私に挨拶をしにではないだろう?」 「やだなぁ、父上」  ウェンは媚びるように微笑んだ。 「帰京の挨拶をしに来たんですよ。僕はそんなに恩知らずではありません。先ほど、兄上のところに伺っていました」  カロイは鼻で笑った。 「では、サムは今荒れてるな。用事は後にしよう」  そう言うと、去っていった。後ろ姿を見送りながら、執事が再び尋ねる。 「四子宮へ?」  いや、と言って、ウェンは今来た道を戻り始めた。 「楽しみは後に取っておくよ」
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