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馴染みの扉をノックすると、中から入るよう促された。
中ではアランが待っていた。目の下に隈ができている。眠る暇がないほど忙しいのか、それとも眠りたくないのか。蘭は痛々しい気持ちでいっぱいになりながら、一礼した。
「ただいま、戻りました」
「おかえり、ラン。ご苦労様」
そして蘭の全身を見ると、くすくすと笑いだした。
「君の軍服姿も見たかったけどね」
「……誰に聞いたんですか」
「カナエが報告してきたよ。だいぶ怒っていたけど」
蘭はバツの悪い顔をした。蘭たちが四子門から入ると、そこに女官が待っていた。蘭はその女官に見覚えがあった。夜の君付きの一番若い女官だ。一刻も早く王太子に報告に行かなくては、という蘭を引っ張っていき、無理やり水浴びさせ、服を着替えさせられた。
あれはやはりカナエの指示だったのか。
「女官長は何に怒っていたのですか。軍服を着たことですか。その姿でここに来ようとしたことですか」
真面目に訊く蘭に、アランは楽しそうに言った。
「両方だよ。後で来るようにって」
「……疲れてるのに」
蘭はげんなりした。カナエの小言は長いのだ。しかも夜の君が居合わせると、止めるどころか、楽しそうにずっと見ている。
「で……」
アランが促してきたので、蘭は居住まいを正した。
信と蘭がドムに入った時の状況から、カエルムを焼却処分したところまで、報告する。
こういう作業は信の方が得意だ。必要なところを簡潔に報告できる。蘭は始めから最後までを、しっかりと辿らなければ無理だった。結果、話は長くなる。しかし、アランは熱心に聞いてくれる。
五つも年下とは思えない大人びた表情を盗み見しながら、夢の中でのアランとの落差を思った。所詮夢の中なのだが、あそこで蘭が助けたいアランは、きちんと十六歳の少年であった気がした。
北の大商人の息子に、いろいろ触られた場面に来ると、アランは目に見えて不機嫌になった。その時だけ、アランは蘭の話を遮り、やりすぎだ、と吐き捨てた。
「ご苦労だった」
話が終わると、アランはもう一度蘭を労わった。今度は王太子としてのねぎらいだ。
「道の封鎖は、コルとシンが何とかするだろう」
「アラン様」
自分の報告が終わったので、蘭は自分が一番聞きたかったことを、口に出した。
「苦しい夢を見ていますよね?」
アランは口を開きかけて、一旦閉じると、残念そうに笑った。
「ここでは、アランと呼んでくれないんだね」
「お望みなら、そう呼びます……アラン」
アランは座っていた椅子の背もたれに身を預けると、盛大に息を吐いた。
「ランにはごまかせないな」
そうして、ちょいちょいと手で蘭を招いた。
「近くに来て」
蘭が近づくと、アランは自分の膝を指さした。ここに座れと促す。
蘭は信に言われたことを思い出した。
「アラン……」
躊躇していると、アランは蘭の腕を引っ張った。
「大丈夫。分かってるから」
何が分かっているんだろう、と思いながらも、蘭はアランの膝に座らされていた。
「父上はもうだめだ」
アランの声は苦しみに満ちていた。蘭ははっとして、アランの腕の中で身を固くしていた。
「カエルムにやられている。おれがそれに追い打ちをかけた」
おれが……見捨てた。
消えそうな声でそう言った後、アランは蘭の背中に顔を押し付けた。
ああ、本当のアランに戻っていく。
背中にぬくもりと震えを感じながら、蘭は強烈に思った。
アランを助けたい。
「アラン」
蘭はそっと言葉をかける。
「夢の中で、私の手が見えている?わたしはあなたを助けたいの」
自分の背中からアランのぬくもりが離れるのを感じた。その顔を見ようと、身をよじる。
その時、部屋の扉がたたかれた。
返事を待たずに訪問が告げられる。
「王太子様、内務大臣がいらっしゃいました」
アランが何か言おうとするのと、蘭がアランの上から滑り降りるのと、扉が開くのがほぼ同時であった。
「何のつもりだ、無礼な…」
言いかけて、アランは目を丸くした。
内務大臣と言われたので、カロイだと思った。しかし、そこにいたのは……
「だれだ?」
アランは眉をひそめた。
来訪者はアランと蘭を交互に見ると、嬉しそうに笑った。
呆気に取られているアランに頭を下げて、自ら名乗る。
「十年ぶりです。ウェンですよ、お忘れですか?」
ひどいなぁと身をよじる。アランは不気味なものを見るような目で、ウェンを見ていた。
「ただいま、内務大臣を仰せ仕りました」
飛び出してきた言葉に、アランはぎょっとする。
「カロイは」
「クビになりました」
「だれが……」
アランが絶句すると、ウェンは高らかに言告げた。
「決まっています。太陽王陛下ですよ」
そう言うと、アランの狼狽に頓着せず、蘭の方を見る。
「貴方のお名前は?」
こちらに話しかけてくるとは思わなかったので、蘭は少し慌ててしまった。
「ラ、ランです」
ああ、とウェンは考える素振りをした。
「では、嵐かな、欄かな、それとも……蘭かな」
蘭はごくりと唾を飲み込んだ。アランも目を剥いている。その発音は完璧だった。
「どうして……」
蘭のつぶやきは、肯定の意味をウェンに伝えてしまった。ウェンはフフフと笑うと、もう一度聞く。
「で、どれ?」
ごまかすことを許さない、威圧的な声音。この男は危険だ。蘭は直感した。
「蘭」
蘭ははっきり答えた。もうバレてしまっているのなら、ひるんでも仕方がない。
そんな蘭をウェンはじっと見た。
あまり歓迎するべき目ではないなと蘭は身構える。
ウェンはあっさり目線を外すと、アランに向き直った。
「陛下の容体は、今安定しておられますよ。ご安心ください」
では、と一礼をして踵を返した。
しかし、思い出したように振り返ると、懐かしそうにアランを見た。
「大きくなられましたね、アラン様」
そう言うと、今度こそ、部屋を出ていった。
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