Ⅴ 神意の行方

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 馴染みの扉をノックすると、中から入るよう促された。  中ではアランが待っていた。目の下に隈ができている。眠る暇がないほど忙しいのか、それとも眠りたくないのか。蘭は痛々しい気持ちでいっぱいになりながら、一礼した。 「ただいま、戻りました」 「おかえり、ラン。ご苦労様」  そして蘭の全身を見ると、くすくすと笑いだした。 「君の軍服姿も見たかったけどね」 「……誰に聞いたんですか」 「カナエが報告してきたよ。だいぶ怒っていたけど」  蘭はバツの悪い顔をした。蘭たちが四子門から入ると、そこに女官が待っていた。蘭はその女官に見覚えがあった。夜の君付きの一番若い女官だ。一刻も早く王太子に報告に行かなくては、という蘭を引っ張っていき、無理やり水浴びさせ、服を着替えさせられた。  あれはやはりカナエの指示だったのか。 「女官長は何に怒っていたのですか。軍服を着たことですか。その姿でここに来ようとしたことですか」  真面目に訊く蘭に、アランは楽しそうに言った。 「両方だよ。後で来るようにって」 「……疲れてるのに」  蘭はげんなりした。カナエの小言は長いのだ。しかも夜の君が居合わせると、止めるどころか、楽しそうにずっと見ている。 「で……」  アランが促してきたので、蘭は居住まいを正した。  信と蘭がドムに入った時の状況から、カエルムを焼却処分したところまで、報告する。  こういう作業は信の方が得意だ。必要なところを簡潔に報告できる。蘭は始めから最後までを、しっかりと辿らなければ無理だった。結果、話は長くなる。しかし、アランは熱心に聞いてくれる。  五つも年下とは思えない大人びた表情を盗み見しながら、夢の中でのアランとの落差を思った。所詮夢の中なのだが、あそこで蘭が助けたいアランは、きちんと十六歳の少年であった気がした。  北の大商人の息子に、いろいろ触られた場面に来ると、アランは目に見えて不機嫌になった。その時だけ、アランは蘭の話を遮り、やりすぎだ、と吐き捨てた。 「ご苦労だった」  話が終わると、アランはもう一度蘭を労わった。今度は王太子としてのねぎらいだ。 「道の封鎖は、コルとシンが何とかするだろう」 「アラン様」  自分の報告が終わったので、蘭は自分が一番聞きたかったことを、口に出した。 「苦しい夢を見ていますよね?」  アランは口を開きかけて、一旦閉じると、残念そうに笑った。 「ここでは、アランと呼んでくれないんだね」 「お望みなら、そう呼びます……アラン」  アランは座っていた椅子の背もたれに身を預けると、盛大に息を吐いた。 「ランにはごまかせないな」 そうして、ちょいちょいと手で蘭を招いた。 「近くに来て」  蘭が近づくと、アランは自分の膝を指さした。ここに座れと促す。  蘭は信に言われたことを思い出した。 「アラン……」  躊躇していると、アランは蘭の腕を引っ張った。 「大丈夫。分かってるから」  何が分かっているんだろう、と思いながらも、蘭はアランの膝に座らされていた。 「父上はもうだめだ」  アランの声は苦しみに満ちていた。蘭ははっとして、アランの腕の中で身を固くしていた。 「カエルムにやられている。おれがそれに追い打ちをかけた」  おれが……見捨てた。  消えそうな声でそう言った後、アランは蘭の背中に顔を押し付けた。  ああ、本当のアランに戻っていく。  背中にぬくもりと震えを感じながら、蘭は強烈に思った。  アランを助けたい。 「アラン」  蘭はそっと言葉をかける。 「夢の中で、私の手が見えている?わたしはあなたを助けたいの」  自分の背中からアランのぬくもりが離れるのを感じた。その顔を見ようと、身をよじる。  その時、部屋の扉がたたかれた。  返事を待たずに訪問が告げられる。 「王太子様、内務大臣がいらっしゃいました」  アランが何か言おうとするのと、蘭がアランの上から滑り降りるのと、扉が開くのがほぼ同時であった。 「何のつもりだ、無礼な…」  言いかけて、アランは目を丸くした。  内務大臣と言われたので、カロイだと思った。しかし、そこにいたのは…… 「だれだ?」  アランは眉をひそめた。  来訪者はアランと蘭を交互に見ると、嬉しそうに笑った。  呆気に取られているアランに頭を下げて、自ら名乗る。 「十年ぶりです。ウェンですよ、お忘れですか?」  ひどいなぁと身をよじる。アランは不気味なものを見るような目で、ウェンを見ていた。 「ただいま、内務大臣を仰せ仕りました」  飛び出してきた言葉に、アランはぎょっとする。 「カロイは」 「クビになりました」 「だれが……」  アランが絶句すると、ウェンは高らかに言告げた。 「決まっています。太陽王陛下ですよ」  そう言うと、アランの狼狽に頓着せず、蘭の方を見る。 「貴方のお名前は?」  こちらに話しかけてくるとは思わなかったので、蘭は少し慌ててしまった。 「ラ、ランです」  ああ、とウェンは考える素振りをした。 「では、(らん)かな、(らん)かな、それとも……蘭かな」  蘭はごくりと唾を飲み込んだ。アランも目を剥いている。その発音は完璧だった。 「どうして……」  蘭のつぶやきは、肯定の意味をウェンに伝えてしまった。ウェンはフフフと笑うと、もう一度聞く。 「で、どれ?」  ごまかすことを許さない、威圧的な声音。この男は危険だ。蘭は直感した。 「蘭」  蘭ははっきり答えた。もうバレてしまっているのなら、ひるんでも仕方がない。  そんな蘭をウェンはじっと見た。  あまり歓迎するべき目ではないなと蘭は身構える。  ウェンはあっさり目線を外すと、アランに向き直った。 「陛下の容体は、今安定しておられますよ。ご安心ください」  では、と一礼をして踵を返した。  しかし、思い出したように振り返ると、懐かしそうにアランを見た。 「大きくなられましたね、アラン様」  そう言うと、今度こそ、部屋を出ていった。
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