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Ⅴ 神意の行方
豊穣祭が無事終わり、それまでの少し浮かれた雰囲気が収まったころ、凛は密かにセレネに呼ばれた。
セレネ自ら凛の部屋を訪れ、付いてくるように促された時、凛は意外な気がした。セレネは凛が部屋の外に出るのを嫌がる。極力、巫女姫の部屋で用を済ませようとする。凛が勝手に、巫女たちの視察めいたことをするのは、セレネの監視の目を盗んでのことだった。
そんなセレネが、自分を外に連れ出そうとしている。いつもとは違うと凛は感じ取った。
「アシュランだけついてきて下さい」
セレネがそう言うと、巫女姫の世話をする他の巫女たちは、黙って頭を下げた。
巫女姫の部屋も神殿の中では奥の方であるが、セレネは更に奥を目指しているようだ。人の気配がしない廊下を、三人の足音だけが、不協和音のように響いていた。
やがて小さな扉の前にたどり着くと、コンコンと控えめに扉をたたいた。
「はい」
中から落ち着いた返事が聞こえると、驚いたことにセレネは鍵を懐から出し、鍵を回して扉を開けた。
中には見たことがない巫女が坐していた。
「お待ち申しておりました、巫女姫様。ユアナと申します」
そう言うと、両手をついて、深々と頭を下げた。その体はやせすぎてはいなかったが、全体に肉が落ちてほっそりしていた。一番目を引くのは、その肌の色の白さである。長年太陽の光に当たっていない、不健康な白さ。
「この者は、先代巫女姫の世話係であった者です。先代巫女姫と共に婚礼の舞を習い、次代の巫女姫に伝えることが役目の者です。巫女姫様とアシュランは、本日よりユアナから婚礼の舞を習って頂きます」
淡々とセレネは説明した。
「私もですか……」
アシュランは考え込むように、言った。
セレネは頷いた。
「巫女姫の一番近しい者が、婚礼の舞の伝承役となるのです。あなたには次の巫女姫に舞を伝えてもらいます」
「でも、わたしは舞は得意ではありません」
アシュランは首を横に振りながら、困惑したように言った。
「別に出来なくてもいいのです。型さえ覚えていてくれれば」
姫様はそういうわけにはいきませんが。
セレネが言うのを、凛はあまり聞いていなかった。さっきから気になることがあるからだ。
「わたしはこの巫女の顔を、初めて見たわ」
巫女は何十人もいるが、凛は人の顔を覚えるのは割と得意な方だ。しかも、名前が分からないなどではなく、この人は見たことがないと思った。
セレネはため息をついた。
「婚礼の舞は秘舞です。巫女姫と伝承役にしか伝えてはいけないんです。ですから、婚礼の儀が終わった後、次の巫女姫に婚礼の舞を教えるまで、伝承役はこの部屋に閉じこもります」
先ほど回した鍵。閉じ込められるのだ。
「そして、秘舞を伝え終わると、その命も役目を終えるのです」
最後の説明を付け足したのは、ユアナであった。
アシュランが身じろぎするのを、凛は感じた。
「そんな……どうして」
凛は唇を噛んだ。わたし一人が受け入れても、まだ人の死が必要なのか。アシュランは婚礼の儀の後、十年ここに閉じ込められ、その後殺されるのだ。
これが信仰か?本当に神を崇めるということなのか?
凛は怒りで、胸が苦しくなった。
その時、凛は手をそっと握られるのを感じた。はっとして横を見ると、アシュランの顔があった。
「大丈夫」
それは昔のアシュランの声音だった。巫女姫にではなく、凛に話しかけるときの、柔らかい弾んだような声。
「大丈夫ですよ」
アシュランは微笑んだ。そこには一片の躊躇も見当たらなかった。
「一緒に婚礼の舞を習わせてください」
あなたと共に……
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