金曜日の珈琲店

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金曜日の珈琲店

 金曜日の夜。雨が降っていた。  電灯に照らされた雨の糸が地面を打って、水たまりが広くなる。水たまりには街灯の光がゆらゆらと揺らいでいた。私はその光を踏んづけて、跳ね返った雨しぶきの冷たさを感じながら行きつけの喫茶店に向かっていた。  雨のせいか、夜のせいか、ここには私しかいなかった。広すぎる世界に私だけが取り残されたような気になる。  夜は眠る時間。誰もが寝息を立てながら、現実から隔離された世界に行く時間。だから夜は好き。孤独を許してくれるから。  歩きなれた道を街灯に沿って行くと喫茶店が見えた。お店のドアにはCLOSEと書かれた札が下がっているが、店頭の明かりはついたまま。お店のドアを開けるとドアベルがカランと音を立てた。カウンターだけをさりげなく照らす電球たちが私を招き入れる。カウンターの中には男性がコーヒーカップを磨いていた。雨のじめじめとした香りが鼻先に強く残っている。 「いらっしゃい、(れい)ちゃん」 「こんばんわ、月宮(つきみや)さん」  私は挨拶をして月宮さんの目の前の席に座った。ここは月宮さんが経営している喫茶店「月宮珈琲店」。そして私はこのお店の常連。最初は母に連れられてきたのだけれど、この空間とコーヒーが気に入って何度も足を延ばすようになった。何より、昼時の忙しない時間でも、老若男女どんな癖のある客にも寝物語を聞かせるようなゆったりとしてマイペースな店主の人柄が好きだ。  アンティークな丸テーブルが五組とカウンター席が四席。カウンター席のステンドグラスランプがせめてもの色彩という程、こじんまりとしたこの喫茶店は、夜になるとより一層その寂しさを増す。雨音が余計に孤独を際立出せる。 「こんな夜遅くに呼び出してごめんね。雨、大丈夫だった?」 「気にするほど降ってないですよ。少し寒かったけど」 「そりゃそんな格好してればね」  月宮さんは丁寧に積まれたコーヒーカップの塔から一つカップを取った。コーヒーの香りがお店の中を漂っている。それでも窓に打ちつく雨の音が私から雨の香りを離さない。月宮さんはカップに丁寧に珈琲を入れて、私に差し出した。 「お待たせしました」 「ありがとうございます。これはなんのコーヒーですか?」  見た目も香りも何の変哲のない普通のコーヒー。けれど、それが何らかの特別な意味を持つように感じたのは、「コーヒーの試飲を頼みたいから明日夜十時にお店に来てくれる?」と言われたからだ。
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