第三章 雨傘に隠されていた素顔

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 「う……ううん。なんでもない。  会議、そろそろでしょ。  いつまでも引き止めたら悪いね。帰ってきたらご飯しようね」  言いながら、かすみは逃げるように営業部へと向かった。  将来がんになる……聞きたくなかった。  直弥は、間もなく抗がん剤の治療を始める。かすみも、それがきつい治療だと知っている。彼から聞いた時は、あえて考えないようにしていたけれど、肝臓の話題が出て、その現実がかすみに迫ってくる。  抗がん剤で髪が抜けて、吐き気や倦怠感(けんたいかん)に苦しむ直弥……想像するだけで身体が震えてしまう。  直弥が離れようとしたのは、その(つら)い現実をかすみに見せたくなかったからだろう。妻でも家族でもない、あの夜まで顔見知り程度の女性に、そこまでの覚悟を求めるのは不可能と考えたのだと思う。  確かに、何もない状態で聞かされたとしたら、直弥を選んだかは断言できない。綺麗ごとではないからだ。  でも、あの雨の夜に、かすみは彼を受け入れて、もしかしたら妊娠したかもしれない。直弥は父親になる可能性がある。  もう、何があっても離れる選択はないけれど、現実を知らされるのは本当に辛かった。
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