兄貴

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 昔の話だ。  彼女は駅前のパン屋で、夜、バイトをしていた。彼女は同じマンションに住む、同じ年の幼なじみで、昔から、人知れず仄かな好意を寄せていたが、自分が中学から私立を選んだ関係で、それ以来疎遠になってしまっていた。  それが、次の年の大学受験を控え、予備校の春期講習に通い始めると、帰りに、見つけたのである。一人で店のレジを、担当しているところを。それ以来、店の前を通る度、何度も中に入って行きたい衝動に駆り立てられ、遂にある晩、勉強疲れの空腹感もあり、それに後押しされる形で、勇気を出し、自動ドアのセンサーが反応する位置に、身を置いたのである。 「いらっしゃいませ」  こっちを見た彼女は、すぐに自分が誰だか、分かった様だった。だが自分は、まだ気づいてない風を装う。 「あっ、ここで働いてたんだ」  という、今晩のクライマックスに放つセリフは、後のお楽しみである。そのタイミングをいつにするかドキドキしながら、陳列されたパンに適当に目を遣っていた時である。そこにもう一人、見ただけで直ぐにそれと分かる、いかにもヤバそうなヤンキーが入ってきたのである。 「・・・お兄ちゃん」  そう、札付きのワルとして、マンション中にその名を轟かせる、彼女の兄貴なのである。しばらく鳴りを潜めていたが、どうやら、少年院に入っていたらしい。 「お前も結構、苦労してんだな」 「店には来ないでって、言ったでしょ」  隙を窺い、店から出て行ってしまおうとも思ったが、既に、店内奥の方まで来てしまっている。それに、緊張のあまり体がこわばり、動かない。  すると、「兄貴」は、パンを2つ、無造作に手づかみすると、トレイには載せずにレジに持って行き、 「いくら?、袋はいらねえから」 「・・・280円、です」  小銭をチャランと出して払うと兄貴は、一つを口にくわえ、もう一つを、乱暴に上着のポケットの中に突っ込んだ。その時だった、不意に、兄貴と目が合ってしまったのである。兄貴、くわえたパンを離すと・・・、 「お前さ、おんなじマンションに住んでるヤツだよな」 「あ、はい、そうです」 「ちょっと悪いけどさ、今日妹と、ウチまで一緒に帰ってやってくんないかな」 「は?」 「いいな、とにかく頼んだぞ」 「あ、ええ」  兄貴は行ってしまった。
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