還らない、波

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 あの夜は、空高く昇った月が、揺れる濃紺の水面を金色に染め上げていた。海から吹き込む冷えた空気が昼間の熱を奪い去り、汗ばんだ素肌には丁度良い風も吹いていた。鼻を刺激する潮の匂いも微かな甘みを帯びていた、穏やかな夏の夜。  僕達は導かれるように、ここで出逢った。互いに深い心の傷を負って。最初に交わした言葉は何だったろうか。確か────。 「もしかして、貴方もですか」  そう、彼はそう言ったんだ。そして僕は重い頭でゆっくりと頷いたんだ。飲めもしない酒は、もう呑んでいたかも知れない。 「彼処に小さなバーがあるのです。どうですか、一杯」  彼は少し照れ臭そうに、そう言った。清潔な白いワイシャツに、酷く半端な丈の麻のパンツを履いていたから、僕はてっきり地元の人だと思った位、彼は何だかアンバランスで適当な格好をしていた。逆にそれが、僕の警戒心を解いたのかもしれないけれど。 「飲みますか」  名前も、事情も知らない僕達の運命の糸は、こうして微かに、だが確かに絡んだ筈だった。  それは〝漣〟のような、泡沫の夜だった。
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