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一度醒めてしまえば、僕の元来の臆病な気質は歯止めが効かないもので、僕は彼の誘惑を断ち切るべく御託を並べた。
「あの、すみません、僕よく覚えていなくて。貴方は何故こんな事を。僕は男ですし、いや、同性愛を否定するつもりはないのですが……」
吃りながら、縺れながら、何とか彼を傷付けぬよう、僕は慎重だった。けれどそれでも、とても信じられない。
「それに、本当に僕が……誘ったのですか」
僕は同性に欲情した事が、未だ嘗て無かったのだ。
彼はたじろぐ僕を心底冷めた瞳で見詰めると、顎先でてらてらと光る唾液を指先で拭った。その動作もまた、至極冷め切った様子である。
「どうでも良いじゃありませんか。そもそも飢えた野獣みたいな濃厚な口付けをしておいて、今更聖人面をされてもねえ」
「それは、その」
身も蓋もない真実を突き付けられ、いよいよ僕の酔いも醒めてゆく。そんな僕を嘲笑うかのように、彼は惚ける僕の頬に手を添えると、ねえ、春彦さん、と熱い吐息交じりに囁いた。
「今宵限りの戯れに、意味はありませんよ。僕達はお互い同じように恋人に裏切られ、たまたま行きずりで出逢ってしまったからこうして夜を共にしている。それだけでしょう」
それだけ、と言ったらそうだ。けれど僕は生まれてこの方、こんなにも不実な行為をした事がなかった。商売女を買った事も無ければ、ましてや恋人以外と性行をするなど以ての外。だから彼の言う理論に、一縷も同意が出来なかった。
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