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序
暁の焦燥激しく、朝霧に包まれた港町。人も鴎も等しく夜を貪り、無限に続く夢の中を漂っている頃。朝焼けに燃える海を眺めながら、僕は緩やかな律動の中で微睡んでいる。取り分けて大きな絵画のように、不安気な早朝の風景を切り取っている広い窓に垂れ下がるレース編みのカーテンが、僕の思考と同じリズムで揺れていた。
朝は好きだ。それも、今のように白んだ頃が良い。海はもっと好きだ。今日のように、微かな泡立ちがより周囲の色を取り込み、まるで己のものと信じ誇る暁の海が取り分けて好きだ。
遠く燃ゆる漁り火は、浅黒い肌のあの人のもの。僕に初めての恋を教え、裏切りの傷を教え、そして、自らの持ち得るものは何かと教えてくれた人。僕は遠い記憶を馳せながら、この自堕落な生活を噛み締める。
「しあわせ────」
閉じる力を無くした唇から思わず漏れた言葉が、良くきいたスプリングの規則的な軋みを止めた。僕の身体に覆い被さっていた男は、迷子にでもなったかのような何処か幼い顔で僕を見下ろす。
「ん、なに」
前髪を伝い落ちた汗の珠が、水平線を侵し始めた太陽に包まれて煌き、そして僕の頬に一瞬の熱を残して消えた。
「いいえ、何でもないんです。続けて」
そう、と言って、彼は再び僕から視線を離した。
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