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僕は結局その日、吉川と二度とは言葉を交わさなかった。そして授業を終えると直ぐに、学校から五分も行かない海沿いに位置する愛人の家に向かった。その愛人とは何を隠そう、今朝方まで一緒だった人物だ。
画家、宍戸圭作。本名首藤圭作は、東京だけで無く、至る所に画室を持っており、巴里への留学を経て日本に帰国してからは、その目覚ましい才能で瞬く間に画壇を駆け上った男だった。その彼が最近この何も無い港町に画室を構え定在している理由は、他でも無い僕の存在であった。彼もまた、僕の美に心底陶酔した一人。
僕が彼の愛人となったきっかけは、旅行でこの町を訪れた彼が僕を見付けた事だった。その頃僕は、漁師であった初めての男に手酷く切り捨てられ、傷心のまま明け方まで海辺で佇んでいる事が多かった。漁師が去り際に言った言葉は、今も忘れられない。
君は美しい。けれど、幾ら美しかろうがやはり男は愛せない。君と過ごした時間は忘れたいから、どうか道端でばったり出くわしたとしても、二度と話し掛けないでほしい。あの時は頭がどうかしていたんだ。
僕は、男に欲情し、無垢な身体を暴いたのは誰だと責め立てた。けれども責めれば責める程に、彼は遠退いて行った。僕に残されたものは、暗く重い背徳心と、愛される悦びに疼く身体だけであった。
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