4.よろしくお願いします

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4.よろしくお願いします

 少し前まで、存在すら知らなかった相手を、今は無意識に探している。  廊下を歩きながら四組の教室を覗き込む。どの席に座っているのか、覚えてしまった。教卓の真ん前だ。あの長身で一番前の席とか、可愛いな、と思った。  背中が丸い。邪魔にならないように、窮屈そうに身を縮めて見えて、なんだか微笑ましかった。  帰りの時間になると、柴崎の後姿を見届けるのが日課になった。  肩に担いだ鞄に、犬のキーホルダーが変わらず今日もぶら下がり、踊るように揺れるのを確認して、安堵する。  きっと、ただ純粋に犬が好きだからつけている。俺からのプレゼントだからじゃない。わかっている。  柴崎は俺を好きだと言ったが、それが継続しているのかは知るよしもなかった。  あれから一度もメッセージは届かない。俺からも送っていない。ブロックされているかもしれない。既読がつかないとショックだから、送れずじまいだ。 「言えばいいのに」  沢村が言った。廊下から視線を戻し、「何を?」と訊いた。 「好きって」 「いや、待って、俺別に好きなんて」 「毎日見てんじゃん」 「見て……る、けど、好きっていうか、気になるっていうか、可愛いっていうか」  フッと笑った沢村が肩をすくめ、俺の胸のあたりを拳で軽く突いた。 「お前、重症」  鞄を担いで教室を出ていく沢村の背中を眺めて、頭を掻く。腰を上げ、帰ろう、とつぶやいた。  廊下に出て角を曲がる。階段を一歩下りたところで、進路に立ちはだかる人影に気づいた。「げっ」と声が出る。  柴崎だ。 「なっ、えっ、わ、忘れ物?」  慌てて取り繕うと、柴崎が数段下から俺を見上げ、少し首をかしげた。 「話があるんだろ。お前が呼んでるって、沢村が」 「沢村」  あの野郎。と内心で歯ぎしりをした。 「話って何」 「あー、えーっと」  俺たちの横を、生徒が通りすぎていく。視線を感じる。 「どこか、場所変えて……、あ、時間大丈夫?」  柴崎は俺と同じで部活をしていない。毎日さっさと帰っていく。放課後、どう過ごしているのかは謎だ。バイトでもしているのか、帰ってゲームでもしているのか、はたまた勉学に励んでいるのか。まったく想像がつかない。  柴崎は無言でうなずいた。ホッとしてから、頭を抱えたくなった。  何をどう言えばいいのかわからない。自分でも、自分の気持ちがよくわかっていないのに。  好きかどうかはわからない。ただ俺は、柴崎を可愛いと思うだけだ。  でも、よくよく考えてみれば、男だ。しかも狂犬と呼ばれるような男だ。それなのに可愛いと思うということは、俺は。 「好きなのか?」  柴崎が言った。 「えっ」 「カラオケ」  俺たちは、カラオケボックスにきている。当然、歌いにきたわけじゃない。 「いや、ごめん、違う、俺んちでもいいんだけど、散らかってるし、ここだと静かだし、話しやすいかなって。別にカラオケしようってんじゃないから」  もたもたと言い訳をすると、向かい側に座った柴崎が俺を見た。射るような鋭い目つきのこの人は、これで高校生なのだ。信じられない威圧感だ。ほとんどヤクザだ。 「もしかして、返せって話か?」 「えっ? 何を?」  柴崎が、「これ」と目線で指し示したのは、誕生日に俺があげた犬のキーホルダーだ。 「なんで、いらないけど」 「そうか」  ふう、と静かに息をつく。もしかして今のは安堵のため息だろうか。 「よかった」  ものすごく小さな声で、確かにそう言った。  可愛いな?  誰にともなく訊ねてみる。 「本当は二組の女に渡したかったんだろ?」 「へっ、誰」 「柴崎琴音」  なんだかすでに懐かしささえ感じる名前だ。そんな人もいたなあという感想しか出ない。 「いや、俺、あの子が好きなわけじゃないし」  柴崎は、わからない、という顔で首をひねった。 「その、喋り方っていうか、発言がいちいち可愛いなって、思って。アイコンの柴犬とか、アカウントのフリーダイアルとか、不思議ちゃんで可愛くて」  うつむいて、言葉を探しながら、首を撫でる。緊張のせいか、汗がにじんでいた。 「でも可愛いって思ったのは、柴崎琴音は関係なくて、……あー、なんて言っていいのか、つまり、俺は、あなたが、柴崎さんが可愛いんです」  しん、と沈黙が下りる。  どこかの誰かの歌声が漏れ聞こえていて、そのせいで、この部屋がやたら静かだというのが強調されている気がした。  耐え切れずに、顔を隠した。  熱い。 「ああー、もう、頼むから、何か言ってよ」 「よく、わからん」 「えっ」  顔を上げて柴崎を見ると、本当に「よくわからん」と言う顔だった。 「ちょっ、えっ、なんで、何がわからないんだよ」 「俺のどこが可愛いんだ」  照れるどころか、若干切れ気味に見えた。  ハッとなった。そうか、男が可愛いなんて言われて嬉しいはずがない。しまった、俺は殺されるのか。 「すすすすすいません、でも、ほら、犬のキーホルダー、喜んでくれて、鞄に着けてくれて、そんななりで、可愛い……、あっ、可愛いってのは、けっして馬鹿にしてるわけじゃなくてですね、その、沢村が、沢村に、重症って」  途切れ途切れに説明したが、自分で何を言っているのかわからなくなってきた。 「好きです、俺……、多分、好きだから、柴崎さんが、可愛いんですっ」  前のめりで叫ぶように言うと、柴崎が突然腰を上げた。ガン、と派手な音がして、テーブルがずれた。ソファに倒れ込み、脛を押さえている。 「えっ、大丈夫?」 「……びっくりして、立ったら、ぶつかった」  意外とおっちょこちょいなんだなと思うと、さらに可愛いメーターが増えていく。  手のひらで口を隠し、笑いを噛み殺す。柴崎が痛みにうめいているのを眺めてから、咳払いをする。 「柴崎さん、まだ俺のこと好き?」  脛をさすりながら、柴崎がこくりとかすかにうなずいた。 「じゃあ、付き合っちゃう?」  トーク内で柴崎琴音に向けた科白を、目の前の男に向けて、改めて言い直す。  姿勢を正した柴崎が、真正面から俺を見る。 「よろしくお願いします」  誰もが恐れる狂犬柴崎が、彼氏になったのだ。
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