6.昼休み

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6.昼休み

 教室に入り、自分の席に着くと、沢村にメッセージを送る。 ──付き合うことになりました  沢村の席は後ろのほうだ。振り返って様子をうかがった。クラスメイトと話している。スマホを確認してから、ちら、とこっちを見る。真顔だった。 ──でしょうね ──もっと驚けよ ──こんなことになんの? ってめっちゃびびってるよ  画面から目を上げて、沢村を見た。相変わらずの真顔。全然びびっていない。 ──あの人と何話すの? ──あれ? 仲いいんじゃないの? ──全然。クラスで唯一話してたのが俺ってだけ ──沢村~  沢村は、いい奴だ。クラスで浮いていたであろう柴崎さんに、気後れせずに、恐れずに、話しかけられるのはこいつくらいだろう。 ──柴崎さんってめっっっつや可愛いぞ?  鼻をフンフン鳴らして素早く指を動かした。 ──ただの犬好きだお ──誤字すげーな。だおってなんだよ  誤字の自覚がなかった。「だお」も「めっっっつや」も舞い上がっているのが丸わかりだ。読み返して、少しだけ頬が熱くなる。 ──前向け前、あとで話聞いてやる  しっしっと手を払われて、前を向く。  スマホを上着のポケットに突っ込んで、今朝の出来事を反芻する。  実は、狂犬じゃなかった。まったく、鬼なんて要素はない。  犬を助ける強さと優しさ。やったことはやったと認める潔さ。俺と一緒に進級したいから嫌いな勉強を頑張るなんて、素直だし、健気だ。  他の誰も、柴崎の本性を知らない。本当はいい奴なんだ、何も怖くなんかないと、触れ回りたい気持ちはある。  でも、本当の姿を独り占めしたい歪んだ欲求もある。 「どうしたらいいと思う?」  昼休み、沢村に全部ぶちまけた。柴崎の真実と、俺の葛藤を。そのうえで意見を求めたのだが、サンドイッチを持った状態で固まっている。 「みんなに教えたほうがいい? よな?」  ひそひそと訊ねると、沢村は机に肘をついて眉間を揉んだ。 「うん、いや、うん、待って、ちょっと情報量多い」 「アドバイスください、お願いします!」  箸を持ったまま拝むと、沢村がサンドイッチを黙々と食べ始めた。  拝んだ状態で、辛抱強く、待つ。  沢村は紙パックのカフェオレにストローをセットしながら俺を見て、ようやく口を開いた。 「あの人が本当はどんな人かはよくわかった。みんなに誤解されて、怖がられて、避けられて、損だなとは思うよ」  うんうん、とうなずいて同意する。沢村はストローを咥えてカフェオレを一口飲むと、おでこを掻いて「でも」と俺の目を見て続けた。 「別に友達が欲しいとか、仲間外れが嫌だとか、誤解されてつらいとか、そういうタイプでもないだろ。お前さえ味方なら、いいんじゃねえの」 「沢村さん……」 「さんて」  沢村は大人びている。いつも冷静で、ちょっとカッコイイ。 「ま、俺も味方だけど」  もう一つのハムと卵とレタスのサンドイッチをつかんで、顔色を変えずにぱくついた。 「沢村さん、一生ついていきます」 「うん、あ、やべ、呼びにきた」  沢村が教室のドアに目をやって、もごもごしながら手を上げた。別のクラスの生徒が数人、「沢村ー、行くぞー」と開いたドアから手招きしている。食べかけのサンドイッチを口に押し込んで立ち上がると、俺の肩をポンポンと叩いて、飛ぶように教室から出ていった。  沢村はいつも昼休みにバスケをしている。食べたすぐによく動けるなと感心する。  箸を持ち直し、手をつけていない弁当を見下ろした。そうだ、と名案を思いつく。  四組に行こう。  弁当の蓋を閉め、腰を上げた。どこ行くんだ、こっち来いよとクラスメイトに呼び止められたが、「四組で食べる」と断って、廊下に出た。  四組の教室を覗き込む。教卓の前の席に、柴崎の背中があった。一人きりなのに寂しそうじゃなくて、なんというか、「孤高」という言葉が似合う大きな背中だ。 「柴崎さん、一緒に食べよ」  背後から声をかけると、振り返った柴崎が大きく目を見開き、胸を押さえる仕草をした。 「びっくりした……」 「あれ、もう食べたの?」 「おにぎりを」 「え、ああ、おにぎり食べたんだ」  おにぎりはおにぎりで正解なのだが、柴崎が言うとなんだか可愛い。ニヤニヤしながら机に弁当箱を置いて、四組の教室を見回した。すごく静かだ。みんなこっちを見ていた。戦慄している。 「この椅子、借りていい?」  空いている椅子を指差して、誰にともなく訊いた。数人が、真剣な顔で首を縦に振った。 「何してたの? ゲーム?」  ランチクロスを解いて、柴崎が握り締めているスマホに視線を向けて訊くと、消え去りそうな声で答えた。 「LINEのトーク履歴を見てた」 「あ、俺の?」 「いつもは食べたらすぐ寝る。でも、今日は何回も、最初から見て……、飽きない」  柴崎の声は低い。教室は静かだから、小さな声でもよく響く。  誰にも聞かせたくない。  いや、聞かせてやりたい。  両極端の思いに揺れる。 「弁当、美味そう」  柴崎が俺の弁当をじっと見ていた。 「卵焼き食べる? はい」  冗談のつもりで言ったのに、ぱかっと口を開け、俺の箸から卵焼きを食べた。 「美味い」  用意していた「なんてね」という言葉を引っ込めて、「よかったー」と棒読みの返事をする。  視線がすごい。柴崎からは死角になっていて、気づいていない。みんながこっちを見ているが、困惑した空気が漂っている。  これだ、と思った。  俺が普通に接していれば、きっと柴崎は怖くないとわかってもらえる。  注目する生徒たちに親指を立て、力強くうなずいてみせた。  ほら、怖くない。  何人かはうなずいていたが、女子のグループが顔を寄せ合い、悲鳴交じりに何かを話し合っている。喧嘩で停学になるほどの男だ。女の子にとっては揺るぎのない、近寄りがたい存在なのだろう。 「あ、今日予定通り、うち来る?」 「行く」  返事は早かった。 「クッキー焼いたから、食べてほしい」  耳を疑う科白が柴崎の口から飛び出して、もう俺は、わけがわからなかったし、四組の教室は、さらなる混沌に包まれた。
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