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8.ふたたびの昼休み
午後八時ジャスト。スマホが鳴った。
飛びついて通知を見ると、思った通り、柴崎からだった。
──こんばんは
秒で返事を打つ。
──こんばんは
すぐに既読がつく。次の言葉が出てこないまま一分が経過した。俺が話を広げなければ。急いで画面をタップする。
──さっきはありがとう。クッキー美味しかった
──よかった
短い返事だが、本人はぶっきらぼうにしているつもりがないことは知っている。安堵で表情を和らげる柴崎を想像し、一人ニコニコする。「よかった」を堪能したあと、そうだ、と思いつく。
──提案があるんだけど
──夜ご飯はすき焼きだった。そっちは何?
ほぼ同時にコメントが出現した。うわー、せっかく柴崎から話題を振ってくれたのに。自分の間の悪さを呪いつつ、「すき焼きいいなあ、うちは肉じゃが」と入力する。
──ごめんなさい。かぶった。提案どうぞ
──すき焼きいいなあ。うちは肉じゃが
またしてもかぶってしまった。夕飯のメニューの話は置いておこう。
──あ、提案、うん
──肉じゃが、美味しい
「ぶはっ」
話題がずれていくのはLINEあるあるだが、柴崎はきっと慌てている。必死で会話を繋げようとしているのだ。愛しくなった。
「柴崎さん、いいんだよ、気にしないで」
慰めながら返事を送る。
──うんwwwごめん、すれちがってばっか。ちょっと一旦おちつこかw
聞こえるはずのない深呼吸が聞こえた気がした。少し経ったあと、柴崎が発言する。
──提案が気になる。むずかしい話?
この人はいちいち可愛いな。アイコンが犬だから余計可愛く感じるのだろうか。
──むずかしくない! あのー、明日から昼一緒に食べない?
やはり事前にアポは必要だ。今日突然教室を訪れたのが、もし、実は迷惑だったとしたら。昼休みはいつも昼寝をするみたいだし、一人になりたいかもしれない。
身構えていると、柴崎らしからぬスピードで「食べる」の吹き出しが二つ表示された。食べる、食べる、と欲しがる犬アイコン。
「うっ……、可愛い」
──二回打ってた
どうやらミスらしい。
「えー、……あの人策士かな?」
かっわいいなあ。
レスポンスの悪いギクシャクしたLINEが楽しい。
柴崎はLINE内でも相変わらず緊張していた。どう話題を振ればいいのか、どう会話を繋げればいいのか、不器用ながらも試行錯誤しているのが伝わってくる。
そういう俺も妙に意識して、謎に緊張した。自然にふるまえている自信がない。
できれば永遠に話していたい。でもそうはいかない。一時間ほどのんびり会話をしたあと、風呂入る、おやすみと締めくくる。
おやすみなさい、と返ってきたのを見届けて、スマホを胸に抱く。そのままベッドに身を投げて、目を閉じた。
はあ、えー、なんで? なんでこの人LINEだと可愛くなるの? まあLINEじゃなくても可愛いんだけど。いや、可愛いと感じるのは俺だけかも。沢村の呆れた顔が目に浮かぶ。
恋は楽しい。好きな人がいるだけで、日常が彩られていく。
その日は高揚感に包まれ眠りに落ちた。
そして次の日の昼休み。
四組の教室を覗くと、柴崎は机に弁当箱を用意して、まっすぐ前を見て待っていた。両手を太ももの上で握り締め、背筋を伸ばして硬い表情をしている。
俺は胸を押さえた。一度深呼吸をしてから、突撃する。
「お、おはよう」
上ずった声が出た。適度ににぎやかだった四組の教室が、水を打ったように静まり返る。すぐに元に戻ったが、みんなが横目でこっちを気にしているのがわかる。
「おはよう」
柴崎が、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
「綾瀬はここに座れ。となりの人に椅子と机を事前に借りておいた」
柴崎の机に横並びで机がくっつけられていた。
「え、柴崎さん、頼めたの? すごいじゃん」
褒めてから、ひどく子ども扱いをしてしまったかもしれないとハッとしたが、柴崎は得意げな顔でニヤついている。
「となりの人どこだろ。ありがとう、となりの人。借りまーす」
教室を見回して頭を下げると、「はいっ」と手を挙げた女子がいた。教室の後ろのほうで机を寄せ合っている三人組のうちの一人だ。
「どうぞ、使ってください!」
きゃあああ、と他の二人が奇声を上げた。綾瀬君に椅子貸せてラッキー、綾瀬君カッコイイ! というわけでもないだろう。俺は別に女子にモテない。首をかしげてから、机を両手で持ち上げた。
「よし、じゃあ机、向かい合わせしようよ。こうやって、ぐるっとして前と前をくっつけて」
「前と前をくっつける」
「そうそう、ほら、横並びより一緒に食べてる感あるでしょ」
「一緒に食べてる感ある」
柴崎がうなずいた。オウム返しがいちいち可愛い。んんっ、んんんっと意味なく咳払いをしてから席に着く。
「食べよっか」
「食べよう」
柴崎は向かい側に着席すると、両手を合わせた。ちゃんといただきますをする派らしい。ランチクロスを解きかけた手を止めて、いただきます、と合掌する。
「え、柴崎さんおにぎり一個? 小食?」
「満腹になると、午後からの授業が眠くなる」
「そんな理由? えー、偉いなあ」
「また留年したくないから、がんばらないと」
なんて健気な人だろう。目頭が熱い。
「じゃあウインナーいらないか」
「ウインナーはいる」
柴崎が口を開けて待っている。完全に餌付けだ。昨日の卵焼きの件といい、柴崎は意外とこういうことに抵抗がないらしい。
音が止んだ。みんなが見ている気配。
張りつめた空気の中、柴崎の口にウインナーを収納することに成功した。
ホーッ、という安堵のため息があちらこちらから聞こえてくる。教室を見回して、親指を立てる。よくやった、という様子で立てた親指を返す男子、胸の前で小さく手のひらを叩き合わせる女子。四組はいい奴が多い。
「綾瀬は友達が多いな」
「え? そうでもないよ」
見知った顔は数人目につくが、名前も知らない話したこともない奴ばかりだ。
「尊敬する」
「えっ、あ、ありがとう」
そんなふうに言われたのは初めてで、どういう顔をしていいのかわからない。照れ隠しに弁当を掻き込んだ。
おにぎり一個をあっという間に平らげた柴崎が、無言で俺を見つめている。たびたび目が合う。食べにくい。たまらずに話題を振った。
「今日、柴崎さんち遊び行っていい?」
「今日……」
「犬も見たいし」
「犬……」
柴崎の歯切れが悪い。もしかして、家に来られたくないのだろうか。
いや、そんなはずはない。今度遊びに来てくれと、昨日、本人が言った。まさかの社交辞令? 柴崎が?
「今日は駄目だ」
「じゃあ明日は」
「明日も駄目だ」
突然の拒絶。どういうことだ。目の前が暗くなる。
「……一生?」
「一生じゃない。もうすぐ期末テストだから、試験勉強しないと」
柴崎が言った。ああ、と納得の声が出た。同時に、ああ……、と教室が重くなる。もはやオーディエンスと化した彼らは、こちらの様子をうかがっていることを隠そうともしない。放置することにした。
「じゃあさ、一緒に勉強しない? 俺成績はいいほうだし、わからないとこ教えてやれるし」
柴崎が、呆然とつぶやいた。
「一緒に……、勉強? そんなことが可能なのか?」
「え、うん、勉強会ね。どう?」
「でも俺は馬鹿だし、綾瀬の邪魔になる」
「いやー、俺、テスト勉強はそんな必死でしなくても毎回いいとこいくから」
ブー、とオーディエンスがブーイングを浴びせてくる。天才ですまない。
「カッコイイ」
柴崎が感銘を受けた顔で言った。肩をすくめ、頭を掻く。
「え、そう、えへへ……」
「わかった、勉強しよう。俺の家で、一緒に」
「あっ、うん、柴崎さんの家で」
図書館とかでもよかったのだが、黙っていることにした。柴崎の家に行きたい。
やったー、と心の中で叫ぶ。
四組の教室に、祝福の拍手が鳴る。
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