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10.友達以上
「そうだ。俺は綾瀬と友達になりたかった」
柴崎はためらわなかった。俺の目を見て、あっさりと返事をした。
「わあー!」
悲鳴が出た。柴崎が軽く跳ねる。
「ちょ、ちょっと待って、思ったよりダメージでかい……」
「ダメージ? 何がだ?」
「なんか、思い上がってたっていうか、は、恥ずかしくて……、柴崎さんが俺のこと恋愛的な意味で好きなんだって、勘違いしてたのが」
「勘違いなのか?」
「え?」
「俺は綾瀬を恋愛的な意味で好きだと思う」
「え? だって、友達になりたかったんだろ?」
「友達になりたかった。だから沢村に、LINEのIDを渡してもらった。綾瀬と仲が良さそうだったから」
柴崎が言葉を切る。崩していた足を正座に変えて、俺の目を見て口を開く。
「俺は綾瀬をずっと見てた」
「う、うん」
「顔とか、髪とか、体とか、ずっと見てたら全部好きになって」
「体」
「サイズがいい。手足の長さとか、体の厚みとか。バランスが好きだ」
「え、そ、そう」
「歩き方とかで、遠くからでもお前だとわかるようになった。いつも誰かと喋ってて、いつ見ても仲間に囲まれてて、男でも女でも誰とでも仲良くしてて、カッコイイと思った。憧れてた。俺は恋愛のことはよくわからん。綾瀬が、俺の気持ちを恋愛の好きじゃないと言うなら、そうかもしれない。ただ俺も、お前と話したいと思った。お前なら、俺を怖がらないかもしれないって……、それで、初めてLINEしたときは緊張して、女だと思われてるなんて気づかなくて、付き合うかって訊かれて、浮かれて……、嬉しかった。恋愛の好きじゃなかったら、多分、嬉しいなんて思わない。違うか?」
柴崎がたくさん喋っている。胸が熱くなって、涙が溢れてきた。うぐっ、ぐおっ、ごほ、げほ、と汚い音をまき散らしてむせび泣く俺に、柴崎がティッシュの箱を差し出してくれた。
「ごめん、柴崎さん、あのとき、怖がってごめん、ひどいこと言ってごめん」
そんなに俺を買っていてくれたなんて。友達になれるかも、と勇気を出したのに、詐欺師扱いして最低だった。
「女だと思ってたのに男だったら誰でも怯える。それに俺は顔が怖い。だから綾瀬は悪くない。綾瀬はいい奴だ」
ティッシュを何枚も取って、激しく鼻をかむ俺を、柴崎が笑って見ている。
「柴崎さん……、疑ってごめん」
「いい。俺も自分の頭の中を整理できた。自信がついた。俺は綾瀬が好きだ」
トゥンク、と心臓が鳴った。柴崎がなんだか男前だ。
「と、ときめいたー」
胸を押さえてうめく。柴崎はずっと、笑っている。
はああああ、と大きく息をつく。湿ったティッシュを丸めながら、もじもじと目を逸らす。
「……俺も、柴崎さんが好き」
「よかった、両思いだ」
「う、うん」
冷静になると、取り乱したことが恥ずかしい。
柴崎が「友達」と表現したのは言葉の綾というか、当然だ。やっていることが友達なのだから、何も間違ってはいない。
「なんもないもんな、俺たちまだ。これから友達以上のこと、少しずつやって」
はた、と言葉を切った。恥ずかしいことを言ってしまったかもしれない。
湯飲みをつかんで、お茶をすする。
「お、お茶うまー。なんかこういう、あったかい日本茶って久しぶりに飲んだかも。煎茶? 緑茶? どっち? どう違うんだっけ」
「友達以上のこと、綾瀬は俺とできるか?」
「聞かなかったふりしてよ……」
背中を丸め、照れ隠しにお茶をひたすらフーフーする。柴崎が腕を組み、「友達以上……」と思案している。
「たとえば、手を繋ぐとかか?」
考えた末に出てきた回答が可愛らしい。
「お、おお……、繋いでみる?」
湯飲みを置いて、右手を差し出した。柴崎が俺の手を見る。注意深くそろそろと手を伸ばし、キュッと握ってきた。
「触った。ドキドキする」
柴崎が強張った表情で言った。繋いだ手がしっとりしてくる。俺の汗なのか、柴崎の汗なのか、わからない。
柴崎と目が合った。どちらからともなく慌てて手を離す。
「緊張した……」
柴崎が自分の右手を大切そうに胸に当てている。清純すぎる。尊さにめまいがしそうだった。
「よ、よーし、じゃあ次は……、ハグする?」
「駄目だ、俺は爆発する」
「爆発するんだあ」
ほのぼのと笑いながら、腹の中で「あああああああ」と悶絶する。
柴崎は机の上の皿と湯飲みをトレイに戻しながら、「それはもっとあとだ」とつぶやいた。
「うんうん、それより先にデートかな」
「デート」
「そのあとは、……き、……キス、とか」
声を振り絞る。柴崎は黙っている。ちら、と様子をうかがった。ぼーっと上のほうを眺めている。
「え、そ、想像してる?」
「綾瀬はしたいか? 俺と」
目が、柴崎の唇に吸い寄せられた。したいと思った。
カーッと顔が、熱くなる。
「したい、です」
「俺もしたい。テストが終わったらしよう。どこに行きたい?」
「えっ? あっ? デート?」
キスの話かと思った。じわじわとすごい勢いで全身に汗が噴き出してくる。なんという恥ずかしさだ。
お茶を一気飲みしてから口を拭い、ブツブツ言う。
「ゲーセンとか、映画とか、動物園、遊園地、水族館、夏休みになったら海とかプールとか」
「行きたい。行こう。全部行こう。一緒に行こう」
目がキラキラしている。この人が俺より一つ年上だということが信じられない。眩しい。目を開けていられない。
「はあ、好き……、うぅ」
顔を覆ってうめいていると、階下から叫び声が聞こえた。女の子の金切り声が、何か喚いている。ドタドタドタと激しい足音がどんどん近づいてくる。階段を駆け上がってきた音が部屋の前で止んだ。
「ノックノック!」
大声がふすまを貫通する。柴崎が「はい」と返事をすると、勢いよく戸が開いた。
「こんにちは!」
制服を着た女の子が、俺を見て快活に叫ぶ。ものすごく元気だ。
「こ、こんにちは。妹さん、かな?」
可愛らしい子だった。目がぱっちりしていて、色が白い。低い位置で髪を二つに結んでいる。背の高い柴崎とは違い、小柄だった。
「はいそうです。類君のお友達ですか?」
類君って可愛いな? 兄のことをそんなふうに呼ぶ妹を見たことがない。ちょっとにやけてしまう。
「うん、そうだよー」
「友達じゃない」
柴崎が強めの口調で否定した。
「し、柴崎さーん」
こういうときは友達でいいんだって。ちらちらと目配せしたが、柴崎は気づいていない。
「友達じゃないの? 類君が友達連れてきたってばあちゃん喜んでたよ」
「友達じゃない」
柴崎さんは譲らない。気まずくなって、「そろそろ帰ろっかなあ」とひそひそ言ってみたが、二人とも聞いていない。
妹が、「ア!」と声を上げた。
「もしかしてこの前のキーホルダーもらった? 仲良くなりたいって言ってた人? えっと、綾瀬さんだっけ?」
「そう、綾瀬さんだ」
「ほーん、もう家に連れてくるとか、仲良しじゃん。類君やるじゃん」
廊下から飛んできた妹が、柴崎の肩に飛び乗った。きゃっきゃと戯れる兄と妹。可愛いなという微笑ましい思いと、嘘だろという驚愕のはざまで揺れる。
柴崎は、俺のことを妹に話していたらしい。何をどこまでどういうふうに話したのかはわからないが、驚くほど親密な兄妹だ。
兄の頭を撫でて労っていた妹が「あれ?」とキョロキョロと部屋を見回した。
「類君、あれどこやったの? 綾瀬さんに見せようよ」
「あれはちょっと失敗した。見せない」
「えー、絶対びっくりするよ。見せようよー」
「なになに、あれって何?」
会話に割り込むと、妹が兄の肩を揉みながら胸を張った。
「類君が一ヶ月かけて作ったぬいぐるみが、昨日完成したんです。柴犬の大きいやつ」
「えっ、あれ手作りなの?」
驚いて声を上げると、柴崎の喉がひゅう、と鳴った。
「……見たな?」
「見ちゃった、すいません。えっ、でも手作りに見えないよ、すごいよ。もっかいよく見せて」
ベッドの下を覗き込み、勝手にぬいぐるみを引っ張り出した。
「四本の足で立つし、ちゃんと柴犬だし、どこが失敗?」
「ほらー、類君、すごいって。よかったね、ねっ」
「でも……、顔が……、目の位置が、ちょっと、失敗したかもしれない。それ以外は……、満足してる」
柴崎が苦悶の表情で途切れ途切れに言った。自作品を思いのほか褒められて、どう反応すべきか迷っている感じだ。
「すげー、えー、プロじゃん。こんなの作れるってすごいって。もっと自慢しようよ。インスタに載せるとかさあ」
すごいすごいと褒めちぎった。お世辞じゃない。柴崎が一か月かけて作った作品だ。もうなんだか、それだけでありがたい。
「類君、綾瀬さんにプレゼントしたら?」
妹がニコニコして柴崎の顔を覗き込む。
「えっ、ほしい」
「……綾瀬がほしいなら、やる」
「ちょうだい、超ほしい」
柴崎は、まんざらでもない様子で少し笑った。
「うちの犬がモデルなんです。シバだと思って可愛がってくださいね」
「うん。柴崎さん、安心して。大事にするから」
ぬいぐるみを抱きしめて、よしよしと頭を撫で、すりすりと頬ずりをする。
柴崎の眉間に盛大なシワが寄った。すごい顔をしている。これは、照れている顔なのだとわかるようになった。
「それより、勉強の続きをしよう」
すごい顔のまま柴崎が言った。ニヤニヤしてくる唇を噛んで、スマホを見る。
「あーと、ごめん、そろそろ帰ろうかな」
妹が「えー」と残念そうな声を上げた。
「もうおしまいか」
柴崎もしょんぼりしている。
「米炊かないとしばかれる」
「米炊かないとしばかれる?」
柴崎が復唱して首をかしげた。
「部活してないんだから米くらい炊けって親に言われてて」
しばかれるといっても叩かれるわけじゃないが、柴崎の顔面が白くなった。
「じゃあ大変だ。帰らないと」
「うん、また明日」
「明日も勉強会、してくれるのか?」
「しようしよう」
自宅で一人だと誘惑が多くて集中しづらい。ついついスマホを見たり漫画を読んだりしてしまう。
でも今日はめちゃくちゃ集中できた。がんばっている人が目の前にいるとさぼりにくいし、柴崎がいるだけで気が引き締まるのだと思う。
夕飯を食べていけと繰り返すおばあさんに頭を下げ、シバを撫で回してから柴崎家を後にした。
ぬいぐるみを抱え、闊歩する。三十センチほどある大きなぬいぐるみだ。すれ違う人がみんな見てくる。恥ずかしいとは思わなかった。ぬいぐるみを見た人たちの顔が、和やかに変化するのがむしろ誇らしい。
前方から親子連れが来る。ぬいぐるみに気づいた子どもが「あーっ」と叫んだ。
「ママー、わんわん」
母親と手を繋いで歩く幼児が、指を差してきた。
「わんちゃん、かわいいねえ」
クレーンゲームで取ってはみたが、持て余している男子高校生。そんなふうに見えたかもしれない。
母親が俺を見る。幼女も俺を見る。もしかすると貰えるんじゃないか。期待に満ちた目で立ち止まる。
すれ違いざまに「こんにちワン」とぬいぐるみを操って、おどけてみせた。キャー、と喜ぶ子どもが両手を差し出してくるが、俺は足を止めなかった。
「ばいばいワン」
ぬいぐるみの短い前足を振った。無情にもそのまま背を向ける。
ほしーほしーと騒ぐ子どもの声が遠ざかる。
すまない、少女よ。
これは俺の宝物なのだ。
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