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Chapter25
「死ねばただ、この大地を常に廻る、風になりたい、と。大地に眠る愛し子を揺らす、風に」
ティウの紋章をカザカミに分け与える際に頼まれた、弟子の唯一の願いを聞き届けたヒサツが、下界を見下ろす。
「『風の如き男』という名称だけは、好んでいたな」
アキツが、両手の中に顔を埋める。
「あの、不肖の弟子めが………」
もう何年も前に、自分が紋章を与えた弟子と、その弟子があらん限りの愛情を注いでいた孫弟子の二人を瞼の裏に思い浮かべ、ヒサツが言った。
「あれに、紋章を与えたのは私だ。本来ならば、人に与えるべきではないものを」
「…………」
「出かけてこよう」
アキツが、もう人の世では数えることも出来ない程、果てしなく長い年月を共に過ごした夫を見る。
「比翼は、片割れだけでは生きられません」
「我が弟子と孫弟子もそうだ」
「………」
「あの二人を失ったら、お前もまた悲しむ」
「ですが……ですが、私達が人の命を扱うのは、禁忌です」
「そうだ。私が力を与えた代償だ。あの日からあの男は、いつかは、戦の中に呑まれゆく命になった」
「………」
二人が、視線を見交わしあう。
「私が介入できないのは、『人』だ。………あれは『風』であり『大地の娘』だ。これで、遥か昔、人に紋章を渡してしまった責任を果たす事が出来るという訳だ」
『未来』を司る力を持つ比翼、ヒサツが、珍しく口元に楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「……老後の面倒は頼んだ、妻よ」
次の瞬間、ヒサツの姿が掻き消える。アキツが、ただ黙ってそれを見送って、そのまま、天空の城内の壁に背中を投げかけて、ゆっくりと再び両手で顔を覆い、そのまま崩れ落ちていった。
ヒサンゴの新しい町に建つ、町の長の館の窓から、風が吹き込んだ。
「窓を開けっぱなしだったのかしら」
サライナが立ち上がって、窓辺に寄り、ふとそのまま空を見上げる。途端に、何となく、どこか言葉にしがたい思いにとらわれて、彼女は長い睫を伏せた。
「あの人は、無事にしているかしら」
自分より一回りほど年上の、淡い金髪に碧の瞳の、鷹揚で人を食った、だが、底知れない謎と力を秘め、愛嬌のあるゴーレムと共に歩む、あの不思議な錬金術師である。窓際に置いた、彼の置き土産でもある、七色の石を手にとって、彼女は深い息を吐き出す。吹き込んできた風が心地よく、彼女はそのまま目を閉じた。すると、手元で何か弾けるような音が響く。
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