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穏やかではあるが有無を言わせぬ響きを纏う声。背後から伸びた長い腕が、フレデリックの胸ポケットからすっと鍵を抜き出した。まるで自分の部屋であるかのようなロイクの振舞いを、フレデリックはただ黙って眺めていた。
忘却の彼方に封印したはずの、記憶の扉が軋みをあげる。ロイクの胸が僅かに触れた背中を、冷たい汗が流れ落ちるのをフレデリックは自覚した。鼓動が速くなるのを抑えることができない。何故、どうしてと、そればかりが脳裏を過るだけで思考は一向に働かなかった。
慣れ親しんだはずの船室が落ち着かない。そのすべては目の前に立つ男のせいだ。フレデリックは小さく息を吐いて執務机へと尻を乗せた。鼓動は相変わらず速いままで、落ち着く気配もない。
「正直、聞きたい事は山ほどある。けれど、あなたはいつまでそうしているつもりです? 生憎ソファはひとつしかないので譲ってあげますよ」
肩を竦めながらソファを視線で示す。だが、ロイクはソファには見向きもせずに再びフレデリックの前に立った。
「ロイ…」
「少し見ない間に君は隠し事が上手くなったね。でも、僕には通用しないよ」
憎らしいまでに優雅な仕草で机へと片腕をつくロイクに、フレデリックはゆるりと首を振ってみせた。
「虚勢も張らせてくれないなんて、あなたも相変わらず意地が悪い。僕はあなたが怖いと、そう言えば納得してくれるかい? ロイ」
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