2007

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2007

 2007年1月16日、石原は栃木県東武市在住の叔母、冬田博子を襲って殺害し、現金およそ2万円とキャッシュカードを強奪して逃走した。  東武警察署は1月20日、犯人を特定して全国に指名手配(非公開)する。石原はその頃には大阪に逃走しており、奪った金で風俗店で遊びまわって使い果たしてしまっていた。金に困った石原は、1月22日に神戸の大叔父、波多野平助を頼って金を無心したが断られた。  宿泊を頼み込んで認められたが、1月23日の深夜、石原は大叔父が就寝しているところを鈍器で滅多打ちにして殺害。  遺体を押入れに隠し、現金およそ1万円と携帯電話を盗んで逃走した。大叔父の遺体は早朝に発見された。  石原は1月23日の夕方、北野の異人館を歩いていたところを東武署の野崎巡査部長に発見され、叔母に対する強盗殺人で逮捕された。2月21日には大叔父に対する強盗殺人の容疑で再逮捕された。  石原は家庭内では主に母親に対して暴力をふるい、母親の髪を切って坊主頭にしたこともあったという。学生時代には学校でも暴力をふるい、好きな女子生徒にふられたときには授業中に自らの手首を切るなどの自傷行為を行い、教師・生徒の双方から何をしでかすかわからない存在と恐れられた。  大検に合格して入った東京の大学も暴力沙汰などから中退を余儀なくされ、その後に始めたアルバイトでも人間関係を作ることができず、そればかりかアルバイト先の店長に暴力をふるい、同僚から財布を奪うなど、傷害・暴行・窃盗などの容疑で逮捕された。  この事件で石原は3か月の拘留を受け、懲役2年6か月・執行猶予4年の判決を受けて仮釈放された。  しかし逮捕されたことから石原は父親から勘当同然の身となり、息子の暴力を恐れて家から離れていた母親を頼るようになる。  しかしそこでも暴力を繰り返して警察に逮捕されたり、金閣村の養豚場や電気機器工場など、住み込み可能な仕事を探して職に就いたこともあったが、やはり暴力事件を起こしたりしていずれも長続きしなかった。やがて無職になった石原は金に困るようになり、親族に無心するようになった。  しかし、石原の暴力沙汰には親族も迷惑をこうむっており相手にされるはずもなく、石原はそのことを逆恨みして凶行に及んだのだった。
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