蝦山事件 1948

1/1
前へ
/29ページ
次へ

蝦山事件 1948

 第二次世界大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が蝦山医院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、また、凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で亡くなっていた。蝦山医院を経営する夫婦は乳幼児を貰い受けるなどとした新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、親から1人につき4000円から5000円の養育費と県からの補助金と配給品を受けとりながら配給品を闇市に横流しするなどして食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。  1月12日、偶然パトロールしていた警官2人が東武村で夜中にみかん箱を運ぶ葬儀屋に対し事情聴取を試み、その中に嬰児の死体4体が入っていることを確認した。1月15日、蝦山医院を経営する主犯の蝦山折絵(当時51歳)と夫の蝦山克也(当時55歳)が殺人容疑で逮捕された。  折絵はT大医学部産婆講習科を経て産婆となり、議員選挙に出馬したこともあった(落選)。克也は憲兵軍曹から警視庁巡査も務めたことのある人物だった。葬儀屋は釈放されたが、夫婦と助手の3人は起訴され、診断書を偽装していた医師もまた起訴された。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加