第二章 バスカヴィルの犬〈二〇五五〉

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-四 「ラーメン。」 「はぁいぃ。」 「こっちはチャーハンね。」 「はぁあぁいぃ。」 「好きですねぇ。」 「あ。」 「チャーハン。」 「あぁ。」 「それこそ。」 「なんだよ。」 「チャーハンチャーハンって、言ってたみたいじゃないですか。」 「なんだよ、よく知ってるな。」 「聞きましたよ。」 「あ、お前、そうえば、嫁となんかこちょこちょ話してたみたいだな。」 「それは、まあ、色々と。」 「あんまり信じるなよ。」 「買ってきてくれたんですよね。」 「やっとな、最終日な。」 「思ってこそですよ。」 「お前、あっちの仲間になるなよ。」  この待ち時間も、直ぐに出てくることがない、この間のこの会話も。 「先輩は、学生時代とか、どんな感じでしたか。」 「ああ、いや、もう、随分と前の話だからな。」 「その頃から、チャーハンでしたか。」 「いやぁ、学食にはなかったからなぁ。」 「大学院の辺りはかなり変わりましたよ。」 「校舎を無くしてる分、自然が増えていいだろ。」 「いやいや、夜とか怖いですよ。」 「あッ。」 「何か思い出しましたか。」 「あれがあったよ。狸。」 「・・狸。」 「ほら、第三学部棟。」 「あぁ、去年取り壊した。」 「そうそう。」 「えぇっと、あれですよね、体育館の後ろの。」 「そうそう。あそこにさ、あの裏に、ちょっと林があったじゃんか。」 「そう、でしったけ。」 「あったよ、で、そこに狸がいたんだよ。」 「へぇ。」 「それでさ、その白い被毛に、黒い頭のそいつが、確か、牝だったと思うんだけどな。」 「よく覚えてますね。」 「そいつが、確か、ヒメとか、ウメとか、フジとか呼ばれてるやつだったんだけどさ、そいつと眼が合ったら、会釈しないといけないんだよ。」 「呪われる的な話ですか。」 「そうそう、単位落とすとか、もっと酷い噂もあった。」 「全然知らなかった。」 「狸なんて珍しいから、まあ、尾鰭が付いたんだろうな。」 「へぇ、でも珍しいですよね、僕は一度も見なかったな。」 「野良猫ももういなかったろ。」 「ああ、そうですね。」 「ただ、だだっ広いだけの場所になったよなぁ。」  それはどこも同じですよ、と言えば、あそこの風景と被るも、あそこは、自分で、自分の力で、掌握することが可能なのだと、自由な野生の風を感じた一瞬を、その感覚が頬を伝う。 「何を。」 「あ。」 「何を視たんですか。」 「何も、だよ。」 「・・本当に。」 「〝それ〟が、わかっただけだ。お前もだろ。」 「僕は、も、少し時間がかかりそうですが、確かに。」 「そういうことだよ。」 「・・・あのソフト。」 「ああ。」 「あれって、結局。」 「結局のところ、な。」 「なんなんですかね。」 「ま、ただの人工知能としか言えないよな。」 「オモチャの。」 「そう。」 「ただのオモチャ。」 「だからこそ、もう人間は降伏して、幸福を貪ることを選んだんだろうよ。」  と、どこかで、オモチャという認識に逆転される話を聞いた気がしたんだけれども、それは意識の底に沈んでいった。 「はい、チャーハンとラーメン。」 「ありがとう。」 「おぉ、うまそぉ。」 「謹慎開け、御苦労様。」  彼女が頭を少し、ぺこりと、僕に下げてくれた。 「ありがとうございます。」 「刑務所帰りみたいだな。」 「誰のせいだと思ってるんですか。」 「もうハッキングはやめろよ、それも病院は。」  パチッパチッと箸を噛み合わせる音が、先輩の手元から聞こえる。  懐かしい、その音が。 「前々から聞こうと思ってたんですけど。」 「なんだよ。」 「なんで、チャーハン食べる時に、箸なんて使うんですか。」 「いいだろ別に。」 「ずっと気になってたんですよ。」 「気にすんなよ。」 「そうそう、ずっと前から。」 「メイも気にせんでくれ。」 「この機会に教えてくださいよ。」 「そうそう、子供の時から気になってたよ。」  先輩は、箸をもう一度パチッと合わせると、それで、チャーハンの半円形の山に突き刺して、そっと、持ち上げれば、その殆どが、半円形のそこに、降り積もっていった。  そして、堪忍したように、それでいて、あの顔で、こう言った。 「まあ、言うなれば、無駄なことをしているという感覚が、を、強く、手に残したいんだろうな。」  最後の、本物のハンツマン。 「人間、を、ということを、強く、実感出来るように。」  強く、最後のバトンが、脳に深く、突き刺さった。  だから、ここが現実であることを、深く祈った。
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