当身の技を修めし巨漢は

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 だだっ広い道場の何もない虚空を見据え、そこに『相手』をイメージする。  そして、そのイメージする相手の『隙』を逃さず『打つ』のだ。  ブン……と拳で空を切り裂く鈍い音が聞こえる。  今日はまた、一際に強く相手をイメージしているようにも見えた。 「……柏木よ、聞いたか」  道場の上手(かみて)に、どっかりと渓が腰を降ろす。 「楠君の事ですか? はい、聞き及んでおります」  柏木が、渓の方に向き直った。  その額には、無数の汗が滴っている。 「うむ……他派とは言え、あまり同門の徒弟を悪く言うのも憚られるが……随分と一方的だったようだな。聞いた話に依ると……だが」 「……楠君は、良くも悪くも『柔道』に邁進した男ですから。或いは、そういう結果も『やむ無し』かと」  さも当然と言わんばかりに柏木が返答する。  渓は、じっと柏木を見つめて問いかける。 「自分なら、同じ轍は踏まぬ……と?」 「さて、勝負の結果は時の運が左右しますので『絶対』とは申しませんが。ですが、自分なら少なくとも詐術に絡み取られるほど(やわ)ではないかと」 「だろうな……」  渓はそう呟いた。  さもあらん。  何しろこれだけの巨躯だ。楠のように容易な事では寝っ転がされぬだろうし、関節を極めようにも腕力や脚力が常人のそれとは文字通りケタが違うのだ。  『柔能く剛を制す』と言うが、それも程度問題と言えよう。  伝え聞く『片桐桜生』との体格差を考えれば、まともな勝負になるとは思えないほどの差であった。
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