第一章

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    3  発酵の終わった「玉ねぎとベーコンのデニッシュ」と「塩バターロール」をホイロ(発酵室)から取り出し、オーブンに入れてタイマーをセットする。ランチタイムに合わせて焼き上げるパンは、甘くないものが中心だ。  作業の合間に、厨房とカウンターの間にある窓を通して客席の方をうかがったが、マキのいるテーブルは、そこからは見えなかった。 (マキさん……怒ったよね)  たしかに、休憩時間としてもらった10分はとうに過ぎていた。それに、パンを焼かなければならないのも本当だった。  しかしどちらも、マキの質問を無視していい理由にはならない。 (でも、まさか寝ている間にマキさんの頭の中に入り込んで聞き出したなんて言えないし。まして、それをやったのが、とっくの昔に亡くなったことになっているマキさんの実のお祖母さんだなんて)  マキの祖母であり、鳴彦の元妻であるシヅエは、自分が〈(きつね)〉となって生きながらえていることを、〈(きつね)〉になる前の係累や知己に対して一切秘密にしているらしい。  〈(きつね)〉になったのは、人間としては死んだということ。死者が生者に関わりを持つことは許されない──というようなことを、以前シヅエは言っていた。それを実践しているだけとも取れるが、こんなに近くにマキや鳴彦がいるのに、頑なに存在を知らせようともしないのは、リョウには理解できないことだった。  何にしても、マキに次に会う時までに、どうやって暗号を解いたのか、説明を考えておかなくては。  だが、うまいでっち上げを思いつく前にランチタイムになり、仕事に追われて考え事をするどころではなくなった。
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