第30話 人間を舐めすぎると痛い目を見ますよ。

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第30話 人間を舐めすぎると痛い目を見ますよ。

 閉鎖された神殿は真昼にも関わらず薄暗かった。丸天井の周囲には明かり取りの窓があるものの、長年の埃で曇ったり、割れて板で塞がれていたりして、わずかな光しか射し込まない。  かつては南区の中央神殿だったが、かなり以前に移転してしまい、現在この辺りに住んでいるのは日々の生活だけで精一杯の人々だ。  ここまで十五分で来られたなんて奇跡のようだ。やはりギヴェオンはいざとなれば行動が速い。ソニアがおろおろしている間に足の速そうな辻馬車を見つくろって交渉し、馬ごと買い上げてしまった。  商売道具である馬と馬車を譲るくらいだから、余裕で新品が買える金額だったはずだ。  馬車の中に取り付けられた添え木に両手でしがみつきながら、ソニアはいつかの夜を思い出していた。舌を噛まないようにしっかり口を閉じ、ギヴェオンが通行人を轢き殺さないよう懸命に祈った。  ソニアはがくがくする足で神殿に入り、がらんとした薄暗い空間で声を張り上げた。 「来たわよ……! フィオナを返して」  怒鳴ると眩暈がして、よろけてしまう。ソニアは頭を押さえて何度も深呼吸をした。 「……へぇ。本当にひとりで来たんだ」  嘲るような声が陰から聞こえた。丸天井を支える柱の側にいつのまにかジャムジェムが立っていた。  今日はレースのついた白いブラウスに袖無しヴェストを着て腰に細身の剣を吊り、頭には羽根を飾った鍔広帽子を斜にかぶっている。  何事もなければいちいち派手な格好だと感心するところだが、猿ぐつわを噛ませて縛り上げたフィオナを引っ立て、喉元に鋭い短剣の切っ先を突きつけているのを見たら、そんな悠長なことは言ってられない。 「気配がないな。あいつ本当に来てないの? 残念、買いかぶりだったかな」 「それはどうも」  低い声がすぐ側で響く。ぎょっとしたジャムジェムは振り向く暇もなく吹っ飛んで瓦礫の散らばる床に転がった。  どこから現れたのか、ギヴェオンが拳を握ってフィオナの側に佇んでいた。殴り飛ばされたジャムジェムは、茫然と頬を押さえて身を起こした。  ギヴェオンはひょいとフィオナを抱え上げ、呆気にとられているソニアの側にすとんと下ろした。後ろ手に縛り上げていた縄を奇術のようにあっさり解いてしまう。 「下がってて下さい。今、迎えが来ますから」  床に座り込んでいた少年が、突然けたたましく笑いながらぴょんと跳ね起きた。 「あっははは。びっくりしたぁ! まさか完全に気配を消せるとはねぇ。驚いた。やっぱりあんた人間じゃないね」  妙に嬉しそうな少年の言葉に、ソニアはぎょっと目を瞠った。ギヴェオンは答えない。 「うん、うん、そう来なくっちゃ。ただの人間がこのジャムジェムに手出しできるわけないもんね。ジャムジェムは人間なんかよりもずーっとずーっと優れてるんだから。うん、今のでわかったぞ。ねーねー、あんた半神でしょ」 「違います」  そっけなく否定され、ジャムジェムは耳障りな笑い声を上げた。 「うっそだぁ。絶対そうだよ。最初っから何か変だなぁって思ってたんだ。ジャムジェムの仕事を人間が邪魔するなんて、もう絶対あり得ないもんね」 「自信過剰ですね。人間を舐めすぎると痛い目を見ますよ」 「いいね、是非とも見てみたいよ。昨今の人間は弱っちくて、つっまんないんだもん。そのお嬢様はわりと根性あって愉しめたけど」  べろ、と異様に赤く長い舌で唇を舐める。生理的嫌悪感にソニアは鳥肌がたった。 「私は半神ではありませんし、あなたのような傀儡でもありません」  冷やかにギヴェオンが放った台詞に、少年の顔色が変わった。 「……誰が傀儡だって?」 「あなたは傀儡でしょ。自分の意思ではなく、誰かの指先で踊ってる操り人形だ」 「ジャムジェムは傀儡じゃなーいっ……!」  少年の指先に炎が燃え、ゴウッと渦を巻いてギヴェオンに襲いかかった。 「舞え! 火蜥蜴の槍!」  ギヴェオンは平然とその場に立ったまま眼鏡をついと押し上げた。 「無効化」  呟きと同時に、ギヴェオンの面前で炎は障壁に当たったように跳ね返った。そのまま空中に火花を散らしながら霧散してしまう。つかのま花のように広がった炎の中から、剣を構えたジャムジェムが飛び出してきた。 「取ったァ!」  剣先がギヴェオンの喉を貫く光景にソニアは悲鳴を上げた。少年が鋭く舌打ちをする。ギヴェオンはわずかに上半身を傾げた体勢で切っ先を避けていた。床を蹴った少年がふたたび襲いかかる。目にも留まらぬ高速の突きをギヴェオンは薄皮一枚の距離で躱し続けた。
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