第45話 わたしは五十年ほど前に叩き起こされました。

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第45話 わたしは五十年ほど前に叩き起こされました。

 上司になんて口を、とおののいたが、アビゲイルは鬱陶しげに眉根を寄せただけだった。 「――ソニア様。〈光の書〉はご存じですね? 現存する〈光の書〉には後代に作られたフィクションが混入してかなり荒唐無稽になっていますが、大筋はだいたい合っています。神々はどこからかこの世界へやって来て、荒野を沃野に変えた。やがて自らが生みだした人類の扱いを巡って対立し、最終的には人類側に立った神々が勝利した。神々は世界を人類に譲り渡し、姿を消した。――さて、消えた神々はどこへ行ったと思います?」 「どこって……、眠っているんでしょ? 聖廟におられる女神アスフォリアのように。いつかこの世界に危機が迫った時、神々はふたたび目覚めるのだと習ったわ」  何の関連があるのだろうと訝しみつつソニアは答えた。神々はそれぞれの神殿で眠りに就いている。眠っていても神々は人間の祈りを聞き、力を貸してくれるのだ。幼い頃からずっとそう言い聞かされてきた。それはソニアにとって世界を認識する上での大前提だ。 「そうです。神は眠った。でも全員が同じ時期に眠ったのではないし、ずっと眠り続けているわけでもない。ほとんどの神は眠りと覚醒を繰り返しています。人間が夜になると眠り、朝が来ると目覚めるように。ただ、神々の睡眠周期は人の一生よりもずっと長いのです。ちなみにわたしは五十年ほど前に叩き起こされました。いい気分で寝てたところを」 「起こしたのは俺ねー。アビちゃんがついててくれないと色々と困るんで」  ニコニコしながらユージーンが口を挟む。アビゲイルはじろりと彼を睨んだ。 「そして面倒くさいことをすべてわたしに押しつけるわけですね」 「やだな、僕ぁ昔っからアビちゃんの実務能力を高く買ってたじゃないかー」  ユージーンはまったく悪びれずにからから笑った。アビゲイルは投げやりに目を逸らす。 「あ、あの。どういうことでしょうか。さっぱりわからないんですけど……」 「つまり、こういうことです」  嘆息しながらアビゲイルは目を閉じ、一呼吸置いてゆっくりと瞼を上げた。アビゲイルの蒼い瞳が不思議な光を放つ。瞳孔が黄金に変わり、青金石のように細かい金色が瞳に散らばる。金環食のように蒼い瞳を金の輪が取り囲み、白目の部分が乳白色の蛋白石のように幻惑的に輝いた。ソニアは息をするのも忘れてアビゲイルの瞳に見入った。その視線を避けるようにアビゲイルはそっと目を伏せた。 「……あまり見つめない方がいいですよ。影響を受けますから」  目を閉じてふたたび開いたアビゲイルの瞳は元通りの理知的なブルーに戻っていた。ソニアは絶句してまじまじとアビゲイルを凝視した。 「あなたは……、神様なの……!?」 「人間の言い方によれば、そうなりますね」  ソニアは振り向いてユージーンを見た。彼は悪戯っ子のように笑った。 「僕の目は見せないよ。下手に影響を及ぼすとアスフォリア様に蹴り飛ばされるからね」 「おちゃらけた言い方をしていますが、彼はわたしより格上ですので本当に危険です」 「うん、だから見せないって。心配性だなぁ、アビちゃんは」 「あなたのようなちゃらんぽらんな上官に仕えたら誰でもこうなります!」  噛みつかれて首をすくめるユージーンを茫然と眺め、ソニアはその向こうに立っているギヴェオンに視線を移した。 「……あなたも……なの……?」  彼はかすかに眉根を寄せて微笑んだ。眼鏡の向こうの瞳は、やはり胸に食い込むほど蒼くて。黄金と蛋白石の輝きがなくても、レンズ越しであっても、否応なく引き寄せられてしまう。 「ギヴェオンは僕よりさらにヤバいよー。自力で封印して、さらに錬魔術を仕込んだ眼鏡で強制封印してもまだ微妙に洩れてるからね。なぁ、いっそ黒眼鏡にすれば?」 「怪しすぎて仕事にならないだろ」  ギヴェオンは憮然とユージーンを睨んだ。ソニアは混乱して必死に考えた。 「アビゲイルさん、ギヴェオンを蹴ってましたよね。彼が格上なら、そんなこと……」 「あー、あれはねぇ気合を入れてるんだよ。自分よりずーっと格上の存在を目下の者として扱うのは、やっぱり落ち着かないもんだからねぇ。無意識に圧倒される前に先制攻撃をしかけて自分を落ち着かせてるの。畏怖を克服するための、アビちゃんなりのやり方」  アビゲイルはこめかみに青筋を浮かべたが、あえて否定もしなかった。 「か、変わってますね……。もしかして、あなたもなんですか、ハイランデル少佐」 「キースでかまわないよ。――俺は純粋な神ではないから、物凄く感情が昂った時とか暗い場所から明るい場所へ出た時の一瞬くらいだ。気をつけていればバレない」 「彼は半神なんだよ、ソニア様。キースはね、アスフォリア様の実の息子。アスフォリア王国の二代目の王様なんだ。あ、そっちの意味でも親戚かぁ」  ソニアは居心地悪そうな顔つきの青年を茫然と見つめた。 「いきなり言われても信じられないと思うが……」  勿論信じられない。でも、嘘だと切り捨てることもできなかった。アビゲイルの瞳を見てしまったから。息が止まりそうなあの輝き。本物の神の瞳は、まさに生きている宝石だ。 「……信じるしかなさそう」  ソニアは茫然と『神々』を見回した。現代を生きるふつうの人たちにしか見えないのに、全員が伝説の存在だなんて――。
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