第39話 前にもどこかでお会いしましたっけ?

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第39話 前にもどこかでお会いしましたっけ?

「んぁ?」  やっと反応を示した青年は、目をしょぼしょぼさせてソニアを見上げた。 「あ、お嬢様。おはようございます」 「おはようじゃないわよ、今は夜よ。っていうか暢気に寝てる場合じゃないでしょーっ」 「いやぁ、寝られる時に寝ておかないと。──あ、どーも。えぇ、ナントカ少佐」 「……ハイランデルだ。キース・ハイランデル」 「あ、そうでした。えーと、前にもどこかでお会いしましたっけ?」 「アラス城でな。危うくきみの馬車に撥ね飛ばされるところだった」 「ああ、そうそう。その節はたいへん失礼いたしました。お嬢様が攫われるのを傍観しているわけにもいかず」 「攫ったのはむしろきみだろう……」 「お嬢様、この人たちに何かされませんでした? 私は勝手に血を抜かれましてねぇ。いやだってのに無理やりですよ。ひどいでしょう」 「わたしも採血されたわ。わたしたち、病気だか中毒だかを疑われてるらしいわよ」  当て擦るように横目で睨むと、キースが苦笑する。ギヴェオンは心外そうな顔になった。 「私はいたって健康ですよ。風邪も滅多にひかないんです。健康だけが取り柄ですから。それに中毒って何ですか。私、酒は嗜む程度ですし、煙草はやりません」 「わたしだって知らないわ。少佐、納得の行く説明をしてくださらない?」  キースは頷き、壁際にあった古ぼけた椅子を牢の前に持ってきた。牢の出入り口は開けっ放しだが、ソニアは抗議の意を込めてギヴェオンの側に座り込んだ。軽く溜息をつき、キースは自分でその椅子に座った。 「そもそもの発端は数年前から出回り始めた怪しげな薬です。上流階級の秘密クラブで秘かに取引されていて、なかなか実体が掴めなかった。まぁ、節度を守って愉しむくらいなら富裕な有閑階級のお遊びとして大目に見てもよかったが、そのうちに重度の中毒者が現れた。精神に異常を来して、暴力沙汰で人死にが出たり、自殺したり、廃人になってしまったり……。こうなると捨て置くわけにも行かなくなってね。この薬の中毒者の特徴としては、気分の浮き沈みが激しいことが挙げられる。ニコニコしていたかと思うと、些細なことで逆上して激怒したりとか。その他、体温低下に多汗症、手のふるえなど」  ソニアは慄然とした。それはまるっきりヒューバートの異常と同じではないか。ぽかんと聞いていたギヴェオンが、学校の生徒のように質問の手を上げる。 「あのー。麻薬類の取り締まりって、確か警邏隊の仕事じゃなかったですか? あなたがた特務隊は公安担当でしょ」 「そうだ。だからこそ我々にお鉢が回ってきた。この麻薬――我々は便宜上『M』と呼んでいるが──、とある政治的秘密結社が出所であることが確実視されている。はっきり言ってしまえば、薬を流しているのは〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉だと我々は睨んでいる」 「〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉……!」 「あの結社には謎が多い。誰が正式メンバーなのかもよくわからない。元々は創造主教会の内部組織で、過激な強硬派の集まりだった。アスフォリア女神を悪霊の女王と罵り、神々をみな悪魔と見做す一派だ。帝国国教である聖神殿と王家に対する配慮から、創造主教会の教皇は十年前、結社を正式に破門した」 「それ、アイザックから聞いたことあるわ。あ、彼はわたしの家庭教師で創造主教会の使徒なの。でも教義は聞いてないわよ。お父様が固く禁じていたから」 「我々がヒューバート卿に注目したきっかけは創造主教会ではありません」 「〈世界の魂(アニマ・ムンディ)〉、ですね」  ギヴェオンの呟きに、キースは頷いた。 「我々は〈世界の魂(アニマ・ムンディ)〉を監視していた。正確にはエストウィック卿を監視していて、彼がバックについた組織ということで監視対象にしたんです。その調査過程でヒューバート卿がどうもおかしいと気付いた。彼も『M』の中毒者らしいと」 「またエストウィック卿? 彼、いったい何者なの。捕まったの?」 「行方をくらましたままです。正体についてはまだ言えません」  キースの口調には取りつく島もなかった。 「それまで我々は〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉とエストウィック卿を別々に追っていたんですがね。図らずも『M』の存在によって両者が結びついたわけです。それで〈世界の魂(アニマ・ムンディ)〉は〈月光騎士団(ルーメン・ルーナエ)〉の下部組織、あるいはダミー組織ではないかと監視を強化した」 「ねぇ、その『M』って何の略です?」  ギヴェオンの問いに、キースは瞬きをして答えた。 「『狂気(マッドネス)』、だが」 「へぇ? 『擬態者(ミミック)』じゃないんですか」
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