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「こんなものしか無いけれど」
妻はそう言って、小さな箱を机へ置いた。
僕らは、テーブルに向き合う形で座っている。静かな居間。差し出された箱はラッピングされていて、何の記念日でもないし、この空気感と釣り合いが取れない。
「どうしたんだ、こんな物」
「そんなものしかないのよ」
無表情に限りなく近い、薄い笑い。
僕は妻が何を考えているか、全く分からなかった。
「もう、疲れたの」
妻は語る。僕がいかに横暴で、子供臭い理屈を並べて面倒で、子供の事だって無関心で、いかに自分を見下すかを。
「そんなつもりはないし、そんな事まで言われる筋合い、無いと思うんだけど」
流石に怒りを覚えて反論するが、妻の表情は変わらなかった。僕は、背筋が冷たくなるのを感じた。
「こんなものしか無いのよ」
僕は、恐る恐るその箱を手に取り、リボンを解いて、開けた。
そこには──小さなハートが入っていた。ピンク色の、まるでビー玉みたいに小さくて、丸みを帯びた、コロッとしたそれは、綺麗だった。透き通って、小さいなりにも僕の顔を映し出す。
「貴方、どんな風に見える?」
僕はそのままを伝えた。すると妻は、初めてため息をして、目を伏せた。
「それが答えよ。それが、私達の答えなのよ。しょせん、その程度のものだったのよ、貴方にとっての私なんて」
意味が分からない──。妻は立ち上がり、簡単にまとまった荷物を手に取った。歩き出す。
「さようなら」
ベッドから飛び起きて、汗を拭う。
何が起きた? 今のは何だ?
カーテンから漏れた朝日が目を刺激して、夢だったかと理解する。
その日の夜。僕は仕事を定時で上がり、小さな花束を買って帰った。
どれだけ気持ちも、過去も、何もかもを放置してきてしまったんだろう。でも今更、バラの花束なんてそんなの、そんなのは恥ずかし過ぎる。この歳だし、僕にとっての精一杯が、こんなちっちゃな花の束だ。
妻は。妻は元々大きな目を更に開いて、そして、ふわっと微笑んだ。
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