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 雄介には友人は少なかったが、幼稚園へ入るとすぐに友達が出来た。そこで、母親は一安心してしまった。  そして、その頃雄介の家では身分不相応な買い物をした。  ピアノである。  雄介の母は元音楽教師だったので、子供たちに教えようと思ったのである。    雄介には兄と妹がいたが、ピアノは雄介と妹だけが母から習った。  小学校で優等生であった兄は何でもできたので、敢えて習わせようとはしなかったのであろう。この兄は中学で吹奏楽部と陸上部の双方に入り、吹奏楽部ではトランペットの名手、陸上部ではマラソンのエースとして名を馳せていた。両親にとって、この兄は自慢の息子であった。ピアノなどはあらためて習う必要はなかったのである。雄介は子供の頃、この兄とよく比較されて益々「自分は駄目人間でこの世にいてはいけない存在だ」と思うようになっていったのだ。    やがて小学校に入る頃から、このピアノが雄介の友達になった。  いつの頃からか、雄介はピアノの前で五時間以上座ることが日課になっていた。しかし、子供なのにピアノの前で五時間も粘ること自体がどこかおかしい。さらにおかしいことには、この子は他の事には全く興味がなく、すぐに飽きてしまうのだ。昔の子供はプラモデルなどを作るのを楽しみにしていたが、雄介はプラモデルなどは難しくなるとすぐに作るのをあきらめて、押し入れ中がゴミの山になっていた。    ただ、ピアノの上達は生半可なものではなかった。  一年間でバイエルが終わると、雄介の母も雄介のピアノを見られなくなった。そこで雄介の母は別の先生をつけた。  すると、僅か三ヶ月でベートーベンの「悲愴ソナタ」全楽章を弾いて、ピアノの先生を驚かせた。大体、これも確かに「おかしい」のである。何をやってもすぐに飽きて放りだしてしまうような子供がピアノだけには天才的な能力を発揮していたのであるから。     だから、小学校時代の雄介の学業成績は散々なものであった。
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