シバザクラ

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 毎年、暖かな季節を迎える頃、道端に咲くちいさなピンク色の花を見かける度に、郁美は祖母の家を思い出していた。広大な敷地に広がる美しい芝桜。毎年それを見るのが何より楽しみで、見事に咲き誇るちいさな花たちを眺めながら、祖母の煎れてくれたお茶を縁側で飲むのが堪らなく好きだった。  春一番が吹き荒れた今日も、日に日に数を増やしていく他所の家の芝桜に目を留め、今年も綺麗に咲くといいなと、思いを馳せた。  高校を卒業してからというもの、もう何年も祖母の家には行っていない。随分と歳を重ねたであろう祖母の顔は浮かばず、まだ若々しく、白髪の少ない、郁美の幼い頃の祖母の姿しか浮かばない程。  何度も何度も、祖母の家に行こうと思った。高校受験を控えた大事な時期に郁美の親は離婚し、どちらも郁美の残り僅かな養育を放棄した。随分前から、家族はバラバラだった。祖母に助けを求めようとしても、祖母の家の住所も電話番号も、家の何処にもなかった。 「困ったらおいで。ばぁちゃんは何があっても郁ちゃんの味方だからね」  祖母は必ず、郁美と二人きりの時にそう話していた。祖母は今も、そう思ってくれているのだろうか。大人になった私でも、助けてくれるのだろうか。  ガチャリと、玄関の鍵が開いた。郁美はビクンと体を弾ませ、急いで台所から玄関へ向かった。 「おかえりなさい。お仕事お疲れ様でした」 「ああ」  スーツ姿の夫、優作の手から鞄を預り、脱いだ靴を揃える。スーツの上着やネクタイを廊下に脱ぎ捨てながらリビングのソファにドッシリと腰を下ろすと、今度は靴下を脱ぎ丸まったままその場に置く。郁美はそれら全てを拾い上げ、畳み、お夕飯できていますよと声をかける。 「お前は馬鹿か。まず酒だろう。俺は疲れて帰ってきてるんだぞ」  優作の舌打ちが郁美の耳に響いた。郁美はすぐさま冷やしていたビールとグラスを持っていき、跪いて注ぐ。そして、夫の分だけの食事をソファの前の小さなガラステーブルに並べ、その場に正座した。優作はテレビを見ながら声をたてて笑い、クチャクチャと音を出して食事をし、空になりそうなグラスを郁美の前に差し出し、郁美はそれを待ってから次のビールを注ぐ。それらが終わるのをただただ、隣で待っている。  
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