第1章

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 なぜハンカチを渡されるのか、合点がいかなかったが、自分の顔に触れると涙を流していることに気がついた。私は気まずさで顔を真っ赤にし、音楽室から飛び出した。 「またね」  彼女の声が後ろから聞こえた。恥ずかしい。でもまた彼女の演奏は聞きたかった。走りながら羞恥と興奮でいっぱいになった心のなかで、曲名を頭のなかで繰り返していた。「熱情」、「熱情」、と。  いつの間にか家の前に着いていた。恐る恐る玄関のドアを開けると母がおかえりなさい、と顔を合わせずに言った。私は胸をなで下ろす。父はまだ帰ってきていないのだ。ここ八カ月、母と父は喧嘩ばかりしていて、戦争のような状態が続いている。仕方がないと思いつつ、私はいつも繰り広げられる夫婦喧嘩に辟易している。二階に上がって、布団を被っても聞こえてしまう罵声。そのせいもあってか、家で勉強をする気には到底なれない。ふたりが無言で、諍いなど今までなかったようにしているときも、決して油断ならない。いつ導火線に火がつくか私は怯えている。せめて今日はお皿が飛ばないうちに夕食をすませてしまおうと、制服から部屋着に着替えダイニングテーブルに座った。     
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