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部屋には三田一人ではなかった。窓際に設置された椅子に一人の男が座っている。黒いジャケットに黒いジーンズ。身に付けているものすべてが沈むような黒。薄暗い部屋の灯りも呑み込んでしまいそうな風貌だった。ボサボサの髪に無精髭がせっかくの精悍な顔立ちをもったいなくしていたが、それでも不潔といった印象はなかった。男はテーブルの上に置かれた三田のタバコをいじりながら、こちらからでもわかるほどに貧乏ゆすりをしていた。
「あの……吸ってもいいですよ」
男は三田が問いかけると、じゃあ一本だけ、と三田がそう答えるのを待っていたかのように、ジャケットの裏ポケットからライターを取りだし、火を付けた。
「タバコ持ってないんですか?」
「いや、持ってる」
男はライターを取りだした裏ポケットからタバコを見せた。三田の吸っているものとは銘柄が違ったが、まだ新品に近く、紙製の箱には張りがあった。
「ご自分の吸ったほうがいいんじゃないですか?」
別にタバコくらいあげてもいいんですけど、と三田は付け加えたが、男は嫌な顔どころか、少しだけ笑みを含ませるだけで、首を振った。
「仕事中は自分のを吸えないんだよ。あくまでも吸うなら、依頼者の吸っているタバコだけだ。どこから足がつくかわからないからな」
――足がつく。その一言で現実に勢いよく引き戻された。三田の顔が曇るのを知ってか知らずか、男は三田に構わず愚痴をこぼし始めた。
「いいか。俺はあくまでも見届け人であって、殺し屋ではない。つまり今から自殺をするあんたの部屋から不自然なものが出てきたら、それだけで他殺の線も生まれるわけだ。あんたが持っているタバコじゃない吸い殻があったら、死んだ男の部屋に別の誰かがいた証拠になる。そんな些細なもの一つで全てがおじゃんになることもあるんだって話さ。あくまであんたが自殺するのであって、他殺じゃない。だからこそ、要らぬ疑いは掛けられたくないってのが本心だよ」
見届け人であって、殺し屋じゃない。その線引きに明確なものがあるのかどうかは三田にはわからなかったが、彼なりの流儀なのだろうと納得した。
そう、確かに男はこの場において、三田の自殺を見届けてくれる役割を担っている。それは三田自身も理解しており、望んでいることなのだから。
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