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3 及川奈緒という女
なんだかご機嫌ね、と言われて美子は頬がゆるんでいる自分に気付く。
「そ、そうかしら」
と慌てて取り繕うが、上調子は声にも出てしまう。
「なにか良いことでもあったの?」
同僚の細野に問われ、
「娘がね、昨日の面談で褒められたのよ」
美子は自慢げにならないように答えた。
何事に於いても平均的な娘だと褒められることも叱られることもない。
小学生時分でも担任はそろって、よく頑張っていますよ、と言うだけで具体的な内容に触れることはなかった。
「へえ、ミサキちゃんだったっけ? 娘さん」
「そう。親バカかもしれないけど嬉しくてね」
ミサキの通うW中学校では、校庭の隅でウサギとチャボが飼育されている。
通常、教員と飼育係に選ばれた生徒が世話をするのだが、その日は誰の不手際かケージのドアが開きっぱなしになっていたらしい。
逃げ出したチャボはどうにか捕まえられたが、すばしっこいウサギはそうはいかない。
飼育係も手を焼いていたところ、たまたま近くにいたミサキがあっさりと捕まえてケージに戻したという。
後で聞いたところでは、逃げ回っていたウサギがなぜかミサキの呼び声にだけは反応して自分から近寄っていったらしい。
ストレスに弱い動物のために下手に追いかけることもできず、困っていた矢先のことだったので彼女の功績は思いのほか大きいということになった。
将来は獣医師になったら、とはさすがに担任の冗談であろうが、なにしろそういう賛辞には慣れていない美子である。
ついつい舞い上がってしまうのだった。
もちろん、だからといって仕事に手抜かりはない。
今日は本来の業務のレジ担当ができたので、すこぶる機嫌もいい。
帰りに明日の弁当の食材を買って事務所を出た美子は、あの仔猫のことが気になって回り道をした。
猫がいつも同じ場所にいるハズがない。
普通はそう考えるのだが、彼女はペットショップで売れ残った仔を見に行くような感覚だった。
件の公園に近づくと、鳴き声をたどって歩いていた時には気が付かなかったものが見えてくる。
そこかしこに落ちているお菓子の包装紙だ。
空き袋ならまだしも、食べ残しもある。
祭りでもあったのか、と美子は思った。
夜店が引き払った後には、たこ焼きのトレイや串が散乱しているものだが、彼女が見ているのはまさにそれと同じ光景だった。
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