そこそこ日和

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赤札はなくなったが、納豆がなくなったわけではない。喩え、納豆を買いに来た私の目の前で、私を挫こうとするすべての人々が、すべての納豆をこれ見よがしに買い占めてしまっても、それを赦せ。けっして怒ることなかれ。悲しんだり悔やんだりすることなかれ。 そこそこでいい。怒りや悲しみ、天を衝くような喜びであっても、純粋な肉体にとっては、どれもストレスにしかならない。大きな喜びは、大きなストレスを忘れるために快物質を処方する、大量のドラッグが付属されたストレスだ。 だからそこそこでいいのだ。 通常の値段の納豆を籠に入れ、改めてレジへ向かった。混雑していたことが夢だったかのように、列は解消し、誰も並んでいなかった。すんなりと会計を済ませた。 買い物袋へと、品物を移し換えながら、私はもうなにも思っていなくなっていた。 了
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