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「彼は、被験体ですよ。それも、この上なく<価値>がある」
灰谷は笑っていなかった。
普段は軽い調子でいるこの男は、決して頭の中身までが軽いわけではない。むしろ誰よりも緻密に計算するタイプだ。灰谷が忠告めいたことを言う理由はわかっていた。先ほど蔦川が言っていた「案件」とは、明らかにこのオメガに関わる研究のことだ。だが俺は、「大丈夫だ」とあえて視線を絡めて言った。
「とにかく今は、彼とコミュニケーションをとる必要がある。少なくとも言葉は通じているはずだが、獣化したままでは試験を行うことはできない。まずはヒト形態に戻るように説得することだ」
「ヒト形態、ですか。戻りますかね?」
答えを求める問いかけではなかったが、懸念を口にせずにはいられないのだろう。灰谷はうずくまるオメガを見つめ、ちいさくため息をついた。
「手伝えることがあったら言ってください」
「ああ。今でも充分によくやってもらってる」
「あ、じゃあ今日の昼飯奢ってくださいよ」
「おい、調子に乗るな」
灰谷はいつもの調子でにやりと笑う。そのまま「データを分析に回してきます」と言って、軽やかに歩き去った。
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