報告書C 討ち滅ぼすべきもの

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報告書C 討ち滅ぼすべきもの

私は今、通話の真っ最中だ。だけど会話をしている訳じゃない。ちょっと不条理に思えるかもしれんが、こちらからはまともに話せてないという意味だ。 「良いか、何度も言わせんな。セールスが先月比で2%も落ちてんだよ。データが間に合わないとか知ったことか。今すぐにイベントを開始させろ!」  電話口からクッソ臭そうな声が聞こえる。相手は営業部長のゴミ爺で、凄まじい厄介者だと名を馳せる死に損ないだ。私は今現在、突発事故的に罵られているという状態だ。  落ちたのがテメェの体脂肪じゃなくて残念だったなと言いかけて言葉を飲み込む。私が喧嘩腰になってしまえば収拾がつかなくなるからだ。 「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ。営業部(オレたち)にぶら下がるだけの内勤どもは、黙って言うこと聞いてろ。そんなんだからテメェは嫁の貰い手がねぇんだよクズ女!」 「すみませんでした(しねボケカス)。早急に対処します(ヅラはぐぞゴミ)」 「口先だけはしおらしくしやがって。後で辞令を送りつけてやるからな、わかったか!」  その暴言を最後に、切れた。通話も、私の堪忍袋も。 「うるっせぇんだよクソ豚親父! 知りもしねぇ癖にイベント走らせろとかほざいてんじゃねぇよ! テメェが新人の美人ちゃんにセクハラしまくってる事を労基と司法に裁いてもらいてぇかボケ! なるべく苦しんでから死ねーーッ!」  本日の解毒はスマートとはいかず、センスの欠片も無い絶叫となった。正気に戻った頃、目の前に怒り顔の課長が仁王立ちするのが見えた。隣の新人さんも地蔵の様に固まっている。ここでようやく就業中であることを思い出す。 「ショーコ、今の言葉は本当か?」 「あぁ、すんません。営業のお偉いさんにイベント走らせろって詰められて。まだ必須データが揃ってないのに、一体どうしろってんですかね?」 「違う。新人の女性がどうのと」 「そっちですか。マジですよ。被害に遭った子は写真やら音声データやら、色々と持ってて……」 「早急に私の元へ送るよう連絡しろ。ありったけ寄越せとな」 「は、はい! わかりやした!」  鉄の女が動いた。それは自席に戻ったという意味だけでなく、誰かの人生が大滑落する予感を兼ねている。あの冷徹が他人の為に手を焼く事が腑に落ちない。同性のよしみや怒りみたいなモノが作用したんだろうか。 「明日は雹(ひょう)が、槍状に尖らせて降ってくるかもなっと」  溜飲がツルツルと落ちるのを感じながら、デスクのマイPCを操作した。やる気はない。だから社内通知とかクソどうでも良いメールをひたすら開いていく。雑多な情報から知り得たのは、うちの課長が「セクハラ・モラハラ対策役員」に大抜擢された事。その時に私は『ああ、終わったな』と感じた。きっと汚れた豚部長は冷徹敏腕女(うちのボス)にトコトン追求されるだろう。課長は、特に業務が絡めば鬼と化すのだから。 「自業自得だからな。同情はしねえよ」  あのゴミ屑がどんな末路を辿るのか妄想していると、心がもっちりしてくる。失職して一家離散の大騒動。安普請のアパートに移り住み、話し相手は酒瓶のみ。その貴重なシーンを目の当たりに出来ないのが残念だが、致し方ない。逞しい妄想力でうまく補う事を落とし所にした。  しばらくして心の平衡を取り戻した頃、私宛にメールが届いた。差出人は鉄の女こと我らが課長。そこには『正式に辞令がでた。イベントを始めるように』と、恐ろしい事が書かれているではないか。本当に容赦無い。豚部長の引責で予定変更とはならないみたいだ。 「まぁね、アタシは雇われの身だからさ、命令されりゃやりますとも」  もちろん気乗りはしない。その原因はイベントの仕様書に集約されている。A4数枚程度に収められた概要には、次のような事が書かれていた。 ーーーー ■本イベント『邪神の野望を打ち砕け!』について ごく平凡な青年が、神の加護により強大な力を授かり、未曾有の怪物たちに立ち向かう。 しかし、本来なら味方であるべき王家は腐敗しきっているため、救世主のサポートを怠るどころか敵対する動きすらみせる。 件の青年は孤立無援という窮地にあって、魑魅魍魎なる邪神軍と対峙するのだが……。 ーーーー  するのだが、じゃねぇよ。仕様書で何をあらすじっぽく書いてんだアホかよ。ちょっとした遊び心が大惨事を招くことを知らんのか。  それと、このイベントが大コケする事は間違いなしだ。というのも、今回の肝は『ジレンマ』なのだから。命がけで邪神と戦う一方、自分勝手に騒ぐ王家連中とも争わなければならんという苦悩がテーマに据えられている。しかし、対立軸の邪神は用意できない。だから、王家連中がひたすらレイン君に嫌がらせを仕掛けるだけの話になってしまうだろう。  それを見た視聴者たちがどう思うかは考えるまでもないだろう。きっと有料と無料会員の双方で退会者が続出するはずだ。それこそ2%なんて数字が可愛く見えるほどの大打撃となるだろう。 「まぁ、アタシの知った事じゃないね。業績落ちても関係ないし」  やってて良かった転職サイト登録。ハコニワという船が沈没寸前ならば、末端労働者でしかない私は他所へ逃げてしまえばよいのだ。だから明らかな失策だと知りつつも、イベント準備を着々と進めた。それはもう滑らかに、これまでの鬱憤を晴らすかのように。 「まずは、現国王とお世継ぎの抹殺、と。死因は事故死だったかね」  電子データが相手と言えど、死をもたらす時には罪悪感に似た何かを感じる。ハコニワでの売り文句である『まるでそこに生きているかのような住人たち』というフレーズは、私たちオペレーターにも存分に突き刺さるのだ。それこそ新人時代はキャラクターに感情移入しまくったから、無闇に介入したりしたものだ。 「ほんで、即位するのは第2王子……って、うわぁ……」  キャラ詳細を開いた瞬間、思わず二度見をしてしまった。性質は残忍かつ外道、更には病的な好色という、稀に見るクズだったからだ。それはさっきの営業部長、恐らく『元』が付くことになるだろう男を彷彿とさせる。こんなクズが世界の唯一王として君臨するのだから、かの住民には同情するより他ない。   「ごめんよレイン君。頑張ってとしか言えんわ……」  管理PCはすんなりと機能し、悪魔のような変更が滞りなく反映された。これより世界は暗黒の世紀へと突入するだろう。 ーー指先ひとつで災厄をもたらした私は、邪神と呼ばれても仕方ないな。  そんな考えがよぎると、胸元に寒々しさを覚えた。せめてレイン君たちくらいには、可能な限りの便宜を図ってやろうと思うばかりだ。
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