報告書D はびこる悪徳

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報告書D はびこる悪徳

 やべぇ、マジでやべぇ。これはもう、終わってると表現する以外に何て言えばいいの。流石の私も、語彙力が怪しくなる程度には困惑してしまった。ちなみにハコニワについてではない。アチラではレイン君たちが上手くやってくれている。  では、何がヤバイのかというと、それは目の前のクソデブ爺の事だ。まぁコイツは社長なんだが、とにかく良識も良心も欠片すら無ぇんだなと今しがた知ってしまったのだ。 「お前たち、いったい何年社会人をやっているのか。組織とは、下が上を盛り立て、しっかり支える事で成立するものだ。それを何だ、領分をわきまえずに独断専行するなど、以ての外とも言うべき……」  何やら真っ当な事をぬかしているように聞こえてしまうが、なんの事は無い。ただのもみ消しだ。例の営業部長(ゴミカス・セクハラジジイ)を糾弾すべく社内の労務部に訴えた所、待ち受けていた結果がこれだ。社長自らのミーティング。そこで公開処刑されるのかと思いきや、垂れ流されたのはクソどうでもいいお説教ばかり。超絶長い話をまとめると「ハラスメント如きでガタガタ抜かすな、業績に響くだろう」となるわけだクソッタレ。部長とまとめて地獄にクランクインさせてやろうか。 「良いか、上司の命令には必ず従え。イエス以外の返答は禁ずる。一見して不条理な役目を背負わされたとしても、若造には理解できない程に深い考えが……」  言ってのけやがった。今の言葉、セクハラは社長のお墨付きって解釈されても仕方ないぞ。実際あれだけの証拠が揃っていたにも関わらず、部長(はんにん)に追求は無く、不問とした上での全社ミーティングだ。だからこそ耳目を疑ってしまったんだが、これは現実であり、今まさに目の前で起きている出来事だった。元々酷い会社だと思ってはいたが、流石に犯罪行為をもみ消すとまでは考えていなかった。  例の件をいっそ社外に訴えたいと思うが、その手段も封じられている。音声に写真といったあらゆるデータを没収されてしまったので、まともな証拠が手元に無いのだ。迂闊、なんて言葉では足りない。この会社は現代の法律やモラルなど通用しない、封建時代と大差無い、力の論理で成り立っているのだと思い知らされた。そんな気持ちを捩じ込まれたまま30分も拘束され、やがて解放された。 「まったく、クソなげぇ話を朝っぱらから吐き並べやがって。暇人かよ邪魔くせぇ黙って公園の鳩でも愛でてろボケカス」  いち早く席に戻ったは良いが、口から毒素が漏れて止まらない。今日も今日とてキーボードのリターンキィに八つ当たり。ごめんねと気遣う気持ちはあれど、右手のスナップが和らぐことは無い。  ハコニワの管理画面よりアチラの状況を確認する。あれから事態は転換点を迎え、西大陸の山間部にポツリと小国が興った。それはレイン君の為のものである。先日までは国興しのたびに抑え込んできたけども、イベントが開始した今となっては問題ない。勢力図が変わる許可は降りているし、レイン君の動きは歓迎すべきものだった。  目玉とも言える邪神データが無い現状において、イベントの失敗は確実視されている。そんな渦中において、彼らの活躍は成功への突破口のようなものだ。可能な限り盛り上げてもらい、趣旨を別物に差し替えて誤魔化す他なかった。 「良いよなぁ。ハコニワじゃ悪党を斬り倒しても、全然罪に問われないもんね」  レイン君たちの反攻シーンはリアルタイムで目撃できた。悪辣なる権力者に立ち向かう様は胸がすく思いだ。それに引き換え自分はどうか。ハコニワでは女神というポジションに収まっているにも関わらず、現実世界では不釣り合いな程に無力だった。それこそ潤沢な証拠を活かす事すらできず、愚痴を垂れ流すのがせいぜいだ。 「ヤバイヤバイ。こんなんじゃダメだ……!」  底までめり込んだ気分で良い働きが出来るものか。今すぐに息抜きが必要だ。チラとフロア奥に目をやると、課長の思案顔が見えた。瞳を閉じ、かなり深く考え込んでいるらしく、注意はフロアに向いていないようだ。今がチャンス。急ぎ下層のカフェまで出掛け、キャラメルラテを補充する事にした。  エレベーターで1階まで降り、お店へと向かう。途中のエントランスホールを横断していると、見知った顔と鉢合わせた。同期入社の営業だ。 「おっすショーコ、今サボり?」  パンツタイプのスーツに身を固めた細身の女が、頬を意地悪そうに歪めて言った。その弾みでサラサラの髪が口許にかかり、それを忙しなく耳にかける。私はその様子を脇目に見ながら、まっまく同じトーンで返した。 「違ぇし。ちょっと必需品を買いに来ただけだし。アンタこそどうなのよ」 「私はこれから外回り。つうか相変わらずだね。あんま派手にやってると、そのうちクビになっちゃうよ?」 「別に良いよ。こんな腐った会社はサッサと抜け出したい」 「もしかして、朝のミーティング?」 「それだけじゃないけど、比率としちゃでかいね」 「まぁね。ありゃねぇわって思うよね」  互いの溜め息がすれ違う。いつだったか、溜め息をつくと幸せが逃げると聞いた事があるが、とんでもない。腹の中にグルグルとトグロを巻くストレスを吐き出すには、これが最良の選択なのだ。 「そういやさ、あの子は大丈夫? 同じ部署だったよね」 「伊東メルちゃんでしょ。うん、それがねぇ……」 「どうしたの? まさか、また部長にちょっかい出されてんじゃ!?」 「違う違う! だって今日は休んでるから。急な話で驚いたけども」 「休んだ……ッ!」  何故だろう、それを聞いた瞬間に凄まじい寒気が襲ってきた。これが虫の報せというヤツなのか。呼吸は荒く、脈はにわかに早鐘を打ち、気づけばこんな言葉を口走っていた。 「伊東さんの家、どこにあるか教えて!」  私は彼女と数回顔を合わせた程度の仲だ。だから、危険を犯してまで関わる理由も義理も無い。それでも自ら首を突っ込みに行ったのは、レイン君の影響だろうか。悪と真っ向から戦うという、青臭くて無謀な生き方に心惹かれてしまったのかもしれない。  それからは手早く住所を聞き出し、キャラメルラテのラージを買い求め、デスクへと戻っては課長に不在を咎められた。しかし、私の心は案外晴れやかだった。柄にもなく人助けに乗り出した事が、どうやらプラスに働いているらしかった。
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