8

7/11
1208人が本棚に入れています
本棚に追加
/134ページ
 そろそろ港に戻ろうと、迷路のような坂道を上がったり下りたりしながら元来た道を歩いた。次第に太陽が雲に隠れ、日差しがなくなっていく。見上げると雨雲が近付いていた。さっきまで天気が良かったので傘を持ってくることなど微塵も頭になかった。僕は急ぎ足で坂を下っていったが、港までは間に合わず、やがて雨雲に追いつかれてシャワーのような雨に見舞われた。水色のポロシャツはあっという間に色が変わり、髪の毛もすぐにびしょ濡れになった。港まではまだ距離があるので、雨宿りをしようとすぐ傍にあった商店のオーニングの下に入った。腕や肩の雫をパッパッ、と払い、濡れた前髪を掻き上げる。ポケットの中のスマートフォンが震えたので確認すると、川原くんから「港に着きました」とメッセージがあった。入れ違いになってしまったようだ。 『申し訳ない、時間があったから少し周辺をうろついていたら、雨が降って来て雨宿りをしている。今からそっちに向かうから』  送信と同時に走り出したが、その数分後に『俺がそっちに行きます。どこにいますか』と返ってきた。メッセージは確認したが、雨も降っていたし僕が港に戻ったほうが早いので返信をせずにただ走った。地形が複雑すぎて道を一本間違えた。石垣に挟まれた足場の悪い路地に入り、慌てて引き返したが、果たして戻ったその道も正しいのかどうか曖昧で、足を止めてしまった。辺りを見渡すが、人どころか猫もいない。しかも雨はどんどん強くなるし、無事に川原くんに会えるのだろうかと、ふと不安に駆られた。  とにかく海のほうへ向かった。もう髪も顔も服も全身がびしょびしょだ。随分走った気がするが、あまり疲れていないのは日頃のトレーニングの成果だろう。体力だけはまだあるのが救いだった。ようやく道が広くなり、三差路に出た時、向かいから走ってきた男と鉢合わせた。お互いに立ち止まって、ずぶ濡れの姿で茫然と見つめ合う。  以前のような赤毛ではなく、限りなく黒に近い髪色で、けれども肌は相変わらず白い。あどけなさはないが、年齢に見合った色気を伴った青年、いや、壮年だ。すっかり大人になっていても、面影は変わらない。川原くん、と名前を呼ぶ前に、彼は別方向を指差して走り出した。「付いて来い」ということだろう。僕はパシャパシャと水を弾きながら、川原くんのあとを追って走った。すぐ近くに神社があり、川原くんは迷うことなく鳥居をくぐる。境内を走り抜け、拝殿の軒下へ駆け込んでようやく雨を凌いだ。服など意味もないくらい濡れていて、川原くんは水をたっぷり含んだTシャツの裾を絞った。長い時間走ったので息切れがなかなか治まらない。二人して挨拶も碌にないまま、ただ肩で息をして止まない雨を見上げた。しとしととしつこく降っているが、雨が砂利を濡らす音に混じって遠くで鳥がさえずった。じきに止むかもしれない。 呼吸が少し落ち着いた頃、僕から声を掛けた。
/134ページ

最初のコメントを投稿しよう!